きゃんちょめ

娼婦ケティのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

娼婦ケティ(1976年製作の映画)
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【『娼婦ケティ』について】

『娼婦ケティ』、冒頭5分のカメラワークだけでもカッコ良すぎました。ヴァーホーベンに特有の苛烈な即物主義と表現主義が全開の映画です。

19世紀末のアムステルダムの雰囲気がすごく伝わってきます。雨の音がノイズのようにずっと聞こえる冒頭、そして光の粒のザラついた映像が、描かれている時代の荒んだ雰囲気と呼応していて、どちらも痺れるほどカッコよかったです。むしろ映画技術が発達した美しいハイビジョンとかじゃない方がかっこいいと言う人がいる気持ちもわかります。

やはり初期から、ヴァーホーベン作品でした。①ケティ→②フィエンジェ→③キャサリン→④ノエミ→⑤エリス→⑥ミシェルという順番で女が成長していくのかな、と思えるような、その最初の予感を感じさせる展開でした。まさにそのような強かな女性たちの成長の最初期に位置するのが主人公の「ケティ」で、その荒削りな感じが、とても好きでした。

ケティが洗濯場でフランスの革命家を歌うシーンもかっこいいです。あと、ケティの尿とか少年の尿に異常な執着を見せる変態とかも出てきました。あと、ケティの姉がお尻から大便を出す音まで聞こえて素晴らしかったです。しかもそのケツを、姉はケティの本のページをちぎって拭くんですね。影絵で男性器が映るのも面白いです。

赤ちゃんのおむつを替えるのだって便まで全部見せており、これらの労働の可愛いだけでは済まない過酷なリアリティをちゃんと「画面の表面に」写していました。

ケティの妹を素直でかわいいと取るか、それともただのおバカさんと取るかで評価が分かれそうですが、僕は普通に好きでした。洗濯の溶剤で中毒になって死ぬ人も好きでした。

左翼青年らは、みんな実は金持ちの息子で、ちゃんと彼らが大好きな「お母さん」も登場し、階級差によるハビトゥスの違いをケティに見せつけてくる感じがとても嫌らしかったです。ケティが高い服を着ていたら、「50セントでまたやらせてくれよ」とか言ってきたやつをぶん殴った左翼青年はまだマシな方でしたけど、結局あいつも階級を重視していた点では、他の金持ちどもと同じでしたね。というのも、左翼青年のくせに貧乏なケティと結婚はしてやらず、やっぱり結局イケメンというだけで、ケティのことを性欲処理のツールとして見ている(ことになる)点が共通だからです。売春婦を買っていた他の金持ち紳士たちと左翼青年は、遠くから見れば同根なんだなってことがよく描けていたと思います。

そもそもケティが銀行家の彼女になったら、他の貧乏人たちの商売のスパイ役をやらせていましたよね。やはり男って本当にすぐに女を道具として見てしまうんだなと思いました。

そういうわけで金持ちはもちろんゲスが多いのだけれど、だからといって貧乏人も別に聖人じゃないのが面白いところです。ヴァーホーベン映画には、いい人も悪い人も、欲望を原理にして動いてるのではない人がひとりも出てこないですね。

劇中で出てくる「「俺が飽きるまで」「もしくは私がね」」というセリフからも分かるとおり、ケティは常に同じ目線の高さで喋ろうとします。特にラストシーンでお母さんと対等な高さにケティは物理的に登ってさえいます。ケティが男女は対等であるべきだと考えていることが伝わってきます。

「無計画に産みすぎなのよ」っていうセリフを吐きながら母親を蹴飛ばすシーンも好きでした。

このように、ストーリーも映像表現も人物描写もすばらしいですし、物体の使い方も見事です。

初めと最後、テロップによる説明していたことに、表現主義の不徹底を見る人もいるでしょうけど、僕は前提知識の部分とお決まりの結末の部分は、この映画で描きたいことではないから、あれでいいのだろうなと思いました。僕はむしろ、オープニングクレジットも速攻で終わり、エンドロールもないという、あれくらいの切れ味で100分でズキュンと終わるのが好きです。ヴァーホーベンの若い頃のまだ未洗練で野蛮な気持ちと、冷徹で鋭い知性が伝わってきてめちゃくちゃ力強い作品だなって思いました。ヴァーホーベン的な思想がまだ成熟し切っていないのですが、しかしかなり好きな作品です。

最後のテロップは次のようなものでした。

The story you have just seen is true. Keetje’s real name was Neel Doff. Her memoirs were nominated for the Nobel Prize. The things that happened to Keetje in the film, actually happened to Neel Doff…all of them —— from the degradation of the gutter, to the heady delights of high society. Neel Doff died in Brussels on July 14, 1942. Her indomitable spirit lives on in this film.

このテロップに書いてある「どん底での退廃から上流階級での活気あふれる楽しみまで」を全て描き切り、そして負けん気の強さ(= indomitable spirit)を何より重視するというのがヴァーホーベンの考え方の根本だなと思いました。

やはりひとりひとりみんなに「負けん気の強さ」は眠っていて、それがひとりひとりの「尊厳」を守っているのですね。そしてその尊厳を踏み躙られるような、リアルな欲望が渦巻く過酷な環境に置かれた時、まさしく「負けん気の強さ」を発揮して人が戦うことをヴァーホーベンは肯定的に描こうとしているように見える。そこで一瞬だけ煌めく人の尊厳を活写しているからこそ、ヴァーホーベン作品はこれほど魅力的なんでしょうね。
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