Jeffrey

シュトロツェクの不思議な旅のJeffreyのレビュー・感想・評価

5.0
「シュトロツェクの不思議な旅」

〜最初に一言、大傑作。傑作にもほどがある。超時代的である。今から3、40年前の作品なのに最新作を見ているかの様な新しさと衝撃がある。正に異国の地、辺境を偏愛するヘルツォークだからこそ成し遂げた唯一無二の映画体験だ〜


‪久々にブルーレイで鑑賞した。刑務所から出所した青年を軸に3人が異国の地へ向かい冷たい現実と直面する話だがラストを観て衝撃を受けた…それは本作を観て自殺したイアンカーティスの心情が伝わるからだ…現代にも通じる物語で新鮮だ。‬まじで最高な映画だ。かつて、あなたが将来どんな映画を作るつもりか、と問われたヘルツォークは、ただ簡潔に「答えは1つしかない、生き残ることだ」と言っていたことを思い出すが、ニュージャーマン・シネマの先駆けがアジテーターだった彼が、今なぜ我々の記憶に見えるのだろうか、生き残ること。今日の希薄な世界観と人間観が流動する中では、この簡明なメッセージは野蛮なのものに聞こえる。しかし、カオスと狂気に満ちたヘルツォークの映像を目の前にすると聞いて生きることへの野蛮な希求こそが私たちに失われてしまったことに気づくだろう。彼がその映像の累積の果てに見ようとしていたものが、今こそリアルに再生されるのだ。荒々しいヘルツォークの映画が見ようとしたものは一体何なのか?奇しくも20世紀の悼尾に、私たちの前に、ヴェルナー・ヘルツォークは亡霊のように再来した。彼の声を聞きながら、私たちの20世紀は見送ろう…と始まる書籍を熟読した私にとってヘルツォークの事ならそんじゃそこらのミーハーとは違い知っているつもりだ。

なんといっても彼の作品と初めて出会ったのは今から10年以上前だ。10年前と言うと私が20歳の頃だ。それまでホラー映画やハリウッド映画の大作(大量生産)ばかりを消化していた私は、この時から徐々に芸術性の高いいわゆるアート・フィルム(本来あるべき第七の芸術)や古典的(30年代のフランス映画の黄金期やポーランド派、英国のフリー・シネマ、日本のATGなど)な映画に感化され始めていた。ヘルツォークで初めて見たのは「シュトロツェクの不思議な旅」である。これは私にとってものすごいショック(いい意味で)を与えた。なんてことなかった。何でこの映画を選んだかと言うと、紀伊国屋書店から発売されている廃盤のブルーレイの裏の説明を読んだときに、この映画を見てまもなく自殺した1人のアーティストのことを知ったからだ。それはイギリスの歌手でイングランド出身のイアン・カーティスと言う人物である。

ここで彼の死について語れば、レビューが長くなるため書かないが、気になる方はウィキペディアなどを読むことを薦める。彼は23歳の若さで自らの命に終止符を打った。そのたった数行の解説分を見たときに、この映画がいかなるものなのか私の興味は一気に増した。この噛みそうなタイトルは、ヘルツォーク第一作の「生の証明」の主人公の名で演じるのはあの「カスパー・ハウザー」が忘れ難いブルーノ・Sである。ちなみに、この作品はフランスでは「ブルーノのバラード」と言うタイトルで公開されている。更に言うと、主要人物名は皆実名と同じである。きっとこの作品は監督のパーソナルな部分が1番体験できる作品だと思う。

ここからこの作品の印象的な話をしていきたいと思う。まず今や売れっ子のエド・ラックマンが助監督として第二班撮影に参加している。この作品はヘルツォークのフィルモグラフィの中でも"まとも"に描かれたいわゆる"普通物語"として完成された異色の作品である。さてヘルツォークと言う人物の作品の特徴は、彼の作品を全て見たものにはわかると思う。それは彼が真っ向から現代に背を向けていることだ。現代的なものをほとんど排除した映画作りをしている。何が言いたいかと言うと、彼の作品に車が登場することも、電話機を使用する場面も皆無である。

舞台はジャングルの中、砂浜、砂漠、密林、高山の中など現代文明が乏しい誰も近寄らない文明無き場所が舞台となっている。出てくる人間は先住民だったり吸血鬼…。扱うテーマは主に冒険的で、歴史劇的。実はヘルツオークは、アメリカの探偵映画などで、3分の1以上の映像が車での移動や電話での会話に費やされているのが耐え難く感じられる…とインタビューに答えていたことがある。これはドイツ文学の瀬川裕司氏が語っていた話だ。実は、ヘルツォークの少年時代は、両親の離婚後に母と大都市ミュンヘンに移るまで、オーバーバイエルンの人里離れた農園で大地と一体化したような生活を送っていたそうだ。

なので、彼の作品の主人公が印象的に残るキンスキー(俳優)を、遥かに凌ぐ静かな自然の重圧に圧倒される、いわゆる自然が、最終的に巨大な脅迫観念となって我々に襲い、神話的な風景像は、そこから来ているのだと思われる。言えば、ヘルツォーク的風景とは、彼の映画の中にしか存在しないものなのだろう、と言われている。一方、同じニュー・ジャーマン・シネマの先駆けの1人として有名なヴェンダース(今年の4月5月6月と3ヶ月連続で彼の作品のブルーレイボックスが発売される)の作品にはジューク・ボックスだったりガソリン・スタンドだとか登場する。ここが2人の対局的な要素だ。もちろんニュー・ジャーマン・シネマの中でサークのメロドラマを愛していた同性愛者で、若くしてこの世を去ったファスビンダーも忘れてはいけない存在だろう。彼については今回は説明を割愛させていただく。

そして先程のヘルツォークの子供時代の話に戻ると、彼は都会で暮らすようになってからも、14歳でギリシャやユーゴスラビアに大旅行して、それを皮切りに、とりわけ文明の先端を行ってはいないと思い、諸国への旅行を好んだそうだ。このようなバックグラウンドを持つ映画監督が自然や風景に対して憧れと同時に恐怖を抱いているような独自の感覚を作品で繰り返し表現し、人間があらゆる動物と協調して暮らしていた黄金時代を夢見るかのように、作品にやたらと動物を登場させたりする事は、我々には自然な流れのように感じると評論するものもいる。確かに、彼の作品には猿が映ってたりしていた。やはり監督それぞれ幼少期の立ち位置によって撮る作品の特徴が違うと改めて思わされた。今回ヘルツォークの作品発売されているブルーレイ全てを再鑑賞してわかったことがある。

彼の映画が文明からかけ離れているところを舞台にするのは、ヴェンダース映画にロックとドライブ(彼の作品の特徴はRoad Movieである)が欠かせないのと同様に彼にはゲテモノ、野蛮性、儀式的なしきたり、大自然の恐怖、そして動物たちの協調が欠かせないのだ。日本国内ではヘルツォークよりもヴェンダースファンのが多く見受けられる。これは私の勝手な偏見かもしれないが、80年代以降のドイツ映画作家と言えば私の中ではヘルツォークが真っ先に来る。彼のなんだろう、なんて言えばいいか難しいが、彼は不適切な時代に登場してしまった映画作家だと感じて仕方がない。とりわけ彼の作る作品たちの土着さが凄まじすぎる。

ヘルツォークが92年に監督したドキュメンタリー映画で「問いかける焦土」と言う映画があるのだが、この作品が翌年の93年度ベルリン国際映画祭で初登場した際に、上映後のディスカッションのために観客の前に現れた彼は、何一つ新しいものがない、環境への姿勢が甘すぎるとブーイングを浴びていたそうだが、それに動じることなく、淡々と自らの作品への思い入れを口にしていた。モーリス・ピアラ(フランス映画作家)もパルムドール賞受賞した作品(悪魔の陽の下に)の舞台上で、かなりのブーイング(多分その作品以上にパルムドールにふさわしい作品があったと判断されたのかもしれない)を浴びたときに、ヘルツォークとは違って反論していたが、そのような監督の反論する力は、私はとても好きだ。
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