そーいちろー

愛と怒りのそーいちろーのレビュー・感想・評価

愛と怒り(1969年製作の映画)
3.5
PFFのパゾリーニ特集の一本で鑑賞。目的は先日尊厳死を選んだJLGの短編「放蕩息子たちの出発と帰還」。

一本目はカルロ・リッツァーニ「無関心」。レイプ犯も交通事故の被害者たちも見て見ぬふりして過ごす現代人を映し出した風刺作。それなりに刺激的な一本であったが、それこそ現代における交通渋滞のけたたましい描写は、まさにゴダールの「ウィークエンド」の有名なワンシーンを想起させる。

あれは比喩的でなく、実際の映像により人間の死が大渋滞(大迷惑)を引き起こし、利己的欲求が人命より尊いことを描いた完璧なショットだった。

二本目はベルトリッチ「臨終」
臨終を迎えようとするある老人と、得体の知れない若者たちと、何か預言者めいた痩せた男。そういう得体の知れない風景が画面そこかしこに横溢しており、緊張と弛緩が幾度となく繰り返され、それはまるでコメディを観ているような感覚をこちらにもたらしていた。

三本目はパゾリーニ「造花の情景」
いくつかの戦争や革命、それらの凄惨な情景がインサートされつつ、陽気な男が大きな造花の花を携え、車が行き交う都市を闊歩する。
その様子はまるで「アポロンの地獄」の現代編で描かれる主人公の男の姿を思い起こさせる。
パゾリーニの描く風景は、常に何か破滅を思い起こさせる穏やかさが画面に満ちているように感じられる。

四本目「放蕩息子たちの出発と帰還」
イタリア語を話す男とフランス語を話す女の会話劇と、アラブの男とユダヤの女の会話劇とラブロマンス。イタリア男とフランス女はアラブ男とユダヤ女のラブロマンスを覗き見ながら会話を繰り広げる「傍聴人」であり「立会人」。それは我々観客自身で好き勝手に二人の関係性を論じたり、それぞれがそれぞれの言語で好き勝手に語り合う様子はまさに観客そのものである。

アラブ男とユダヤ女はそれぞれの困難を抱えつつ、愛を語り合う。常にゴダールはあらゆる困難を、かなり素朴な愛という力で乗り越えんと信じる、素朴なユマニストであったように思われる。それをまた皮肉るように「映画はウソの積み重ね」と語り、形而上的に我々観客を宙吊りにする。

当時のゴダールの問題意識がいつも通りに詰め込まれつつ、また異なるアプローチを通じ、なんらかを伝えよう、あるいは断念しようとしているかのような映画。当然、終わりは唐突である。

五本目マルコ・ベロッキオ「議論しよう、議論しよう」イタリアの大学を講義を舞台にした革命派学生たちと聴講中の学生、教授陣との討論をテーマにした映画。なんというか中国女的な映画とストローブ=ユイレぽい演劇映画って感じだった。

どの作品もどこか60年代から70年代にかけて政治の季節へと向かっていったゴダール作品の影響を感じさせた。
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