■ 概要
核戦争におけるもうひとつの恐怖を鮮烈なタッチで描き切った衝撃の問題作。
■ 感想
本作は、一般的なアメリカ人が'核シェルター'について、どのような考え方を用いているのかを描いた作品である。
所謂'核シェルターもの'である。
独立記念日にカリフォルニアへやってきた3家族は、そこで突然、ソ連が核攻撃を仕掛けてきたというニュースを聞く。
3家族は、共同で所有していた核シェルターに避難するが、そこに
民衆「自分たちも入れてよ!!」
という外部の人間がやってくる。
・民衆を銃で威嚇して引き上げさせようとする男性。
・核シェルターの外側に地雷(ショボい)を埋め、外部の者をシャットアウトしようとするエゴイストな男性。
・それらの行動に反対する女性。
核シェルターの内部から、人間関係のひび割れは始まっていく。
以上が、本作のあらすじである。
核シェルターは、あくまでも自分たちが生き延びるためのものであって、外部の人間に開かれたものではない。
自分たちと外部の者という線引きが、結局はアメリカ(味方)とソ連(敵)という冷戦思想の二分法を強化し、核戦争の脅威というものを増幅するものである。
監督はこのようなメッセージを視聴者に伝えたかったのだろう・・・。
ここまで見る限りだと、閉鎖空間に置かれた人間たちの心理や関係性を深く描いている作品のように見えるかもしれない。
しかし残念ながら、本作は世にいう地雷映画である。
テーマ性やメッセージ性に関しては、特に文句がないのだが、余りにも表現力が乏しく、それらがこちらに全く伝わらないものとなっている。
完全に力量不足だ・・・。
また「核シェルターもの」の醍醐味といったら、
・閉じ込められた人間の不安感と恐怖感。
・閉鎖的感情に依って徐々に蝕まれていき、温厚そうな人間の精神状態が異常なものと化すまでの過程。
・部外者を何としても入れようとしない現実主義者と、何としても入れようとする人道主義者たちの対立。
である。
これらに関しても、表現力が不足しすぎていて、視聴者側に何一つ伝わってこない。
色々と言いたいことはあるが、大前提として、戦争が勃発したという説得力がないのが一番の問題だろう。
これが表現出来てないと、どんなに高尚なメッセージ性だろうが、素晴らしい演出や脚本だろうが、全てが胡散臭く思えてしまい、どうでもいいものとなってしまう。
まあ本作の場合は、演出やシナリオもかなり酷いが・・・。