受け継がれる技と想いが師弟の間で強烈にオーバーラップする様を、猿拳の俊敏な挙動それ自体の一糸乱れぬ重ね合いによって表現してしまえるラウ・カーリョンのこの作品こそが、猿と人間の進化における重要なファクターとしてダーウィンが探し求めていたヤツである事を私は確信致しました。
とにかく猿拳による軽やかな運動性によってまさに劇的なアクションが構築されていて、動作における柔と剛のシームレスな移り変わりが華麗で痛快に作用しているし、なおかつ形象としての細かい所作までもが同一の速度の中に織り込まれているという物凄い仕上がりになっているワケです。
こんな恐るべき芸術性を有した殺陣の展開には日光猿軍団もブチ上がり過ぎてただの日光パリピ軍団に成り下がるだろうし、日光東照宮の三猿だって最早なりふり構わず「見るし・聞くし・言う」でしょう。
技も想いも猿も人間も、そのすべてが凄まじいカンフーへと形を変えて炸裂していく一方で、やはり画面一杯に切り取られたロー・リエの表情が放つ間違いのないロー・リエっぷりには何か格別の安心感を覚えてしまうワケです。
いわゆる香港ズームによってロー・リエのクローズアップという絶対的な喜びに寄っていく高揚感は、なんかもう夏休みが近づいてくる感じとかと同じなんじゃないかと思った。