むさじー

左利きの女のむさじーのネタバレレビュー・内容・結末

左利きの女(1977年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

<人生をリセットした女の“家族、老い、孤独”>

これからの人生に懐疑を抱いた中年夫婦が出した結論は、夫は家族の絆を深めたい、妻は独りで生きたいというものだった。夫と別れて生きることを決断した女が、不安と孤独を抱えて悩みながら乗り越えようとするストーリーだが、ドラマチックな展開はなく、彼女を取り巻くエピソードが綿々と綴られている印象だ。
特に小津安二郎へのオマージュが色濃く、小津のサイレント映画のワンシーンが挿入され、部屋の壁には小津の肖像写真が貼られているという入れ込みようで、彼が描いた「家族、老い、孤独」に対する深い共感が見えてくる。
映像もどこか似通っているのだが、特に列車の映像が象徴的に、頻繁に挿入されて印象に残った。走る列車、その車内、車窓の風景、この多用ぶりは何か意図があるのかと思えてくる。列車は人生のようで、毎日定刻にいつもの道を走り続ける私たちの日常と同じ。そして走り続けることが列車の宿命であるように、人も死なない限り生き続けるしかない、そんなところか。
だからラスト、「居場所がないと嘆くな」というメッセージは「今ここにいること」自体が幸せなのだとポジティブに解釈すべきだと思う。
女の心の内は、不安や孤独、焦燥や諦観とネガティブな世界観に囚われている。だが誰しも多少なりとも空虚な自分自身を抱えていて、それを何とか処して生き続けているもの。まずは生きて在ることに感謝して慎ましく生きよ、幸せは探し求めるものではなく日々の暮らしに潜んでいるもの、そんな人生訓のように思えた。
ヴィム・ヴェンダース製作で、彼の映画脚本を手掛けたノーベル賞作家ペーター・ハントケの唯一の監督作品。小津だけでなく、ヴェンダースの色合いも強く、表現はたどたどしいが内省的で、謎に満ちた人生の深淵を覗かせるような不思議な映画だった。映像で綴る詩のような、余白を味わう映画かと思う。
むさじー

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