カラン

左利きの女のカランのレビュー・感想・評価

左利きの女(1977年製作の映画)
5.0
夫が他国への出張から帰ってきて、夫婦は息子を家に残して、ホテルのレストランで食事し、そのまま部屋をとり、一晩を過ごす。翌朝、歩きながら妻が夫に「あなたは私を捨てるでしょう。私を1人にして欲しい。」と別れの言葉をなんとか口にする。。。


☆ヴェンダース組
ヴェンダースが製作で、撮影はいつものロビー・ミューラー。それでいつもヴェンダース組の脚本を担ってきたハントケが、本作の監督と脚本を勤めた。

☆小津安二郎
敬愛しており、サイレント映画を劇中で使いたかったのだろう、小津安二郎的な映画というものではない。サイレント映画なのは、言語的コミュニケーションがこの映画の女は行き詰まりになっているからだろう。あるいは言外のコミュニケーションが行われているシーンなのかもしれない。小津安二郎が不詳なのと、具体的に何の映画の引用かも分からないので、適当である。

☆言語
夫婦、子供はドイツ語で話す。夫の父はフランス語が分かるよう。その他も概ねドイツ語。夫婦が行ったレストランの接客はフランス語。妻は元出版社勤めで、夫から離れた後、ドイツの出版社から依頼を受けてフローベールをドイツ語に翻訳をする。

☆場所と駅
フランスかドイツ。国境近くの街だと思われるが、もしかするとパリに近いかもしれない。道に標識がある。しかし特急は通過するだけの大きくない駅がある街。ホームを映して電車が駅に停まらないというのは、生成を準備しているのだろう、あの轟音で過ぎていく運動は存在を明滅させる。坂もあり、起伏が多い街。街の起伏は一元的でなく、思いがけないことの発生を暗示する。つまり、愉しい街なのである。

☆左利き
妻は右手でペンを持っていた。ところで、大昔、おそらくプラハの春で国内に居られなくなった元左派活動家の老人と酒を飲んだことがあった。酔っ払った老人は店から出ると、路地をふらふら歩きながら、「わたしの彼は左きき〜」とさらに大昔の歌を慎重ではあるがおかしなイントネーションで歌い始めた。

☆女の気持ちとハントケ
おそらく女を描いている。しかし女とは何かをつかまえるために言語的説明や、結局は言語的説明に還元される類の表現をしない。あるいは、最初から諦めている、女とは?の説明を。

小説が必然的に孕む目的論的構造を忌避するのはアラン・ロブ=グリエ(1922生まれ)やマルグリット・デュラス(1914生まれ)らヌーボーロマンの世代の作家たちの大きな特徴だが、ペーター・ハントケ(1942生まれ)の青春期は彼らの言説が世界を席巻する時期なので大いに薫陶を受けたのかもしれないが、ハントケのテクストは読んだことがないので不詳である。

☆ペルソナ
人格の憑依というのか、身体はそのままに魂が移り変わったのか、ペルソナの移動が起こるようだ。ベルイマン(1966)の後、アルドリッチが『甘い抱擁』(1968)で、アルトマンが『三人の女』(1977)で実現したこと。

①妻
夫と別れた後、友人がやって来て、夫をもしよければ自分の家に預かるがと提案され、そのシーンはないが、夫は友人の家で暮らすようだ。役の移動が起こっている。

道ばたで出逢った少女と歩く。少女は後ろ向きに歩き始めるが、自分はお母さんのようにゆっくり歩いてやる。しばらくすると、道が分岐して、少女は別の女の元に。自分は歩き続ける。このとても素敵なシーンでは、役の移動が起こっている。

夫の父がやってきて、自分は靴を磨こうとするが上手くできない。この時、左手でブラシを握っていたか?父は自分のカーディガンのほつれを縫う。役の移動が起こっている。

②夫
別れ話を切り出される直前。妻の隣で草むらに向かってくるっと転げる。また、妻がぴったりの靴を見つけたと、まるで子供のように、白いスニーカーを買ってもらい、水たまりに両足で飛び込む。役の移動が起こっている。

夫と子供の役が変わるので、子供が首を絞められるということも起こる。子供はつきまとってくるし、ばたばた煩いが、この映画の眼差しが捉える子供はとてもいい。

☆だから?
役を変えるのは簡単。右利きだけど左手で、あるいはその逆で、作業をやってみるようなものである。今いる場所を捨てるのも簡単。新しい仕事を始めればいい。うまくいかなくて、やきもきすることもあるだろうが。人は今のこの自分とは違う自分をいつだって想像するものである。ドイツ人がフランス語をちゃんと理解することもできる。やってみたら苦労するが。エピローグの言う通りである。しかし、このようなオチがこの映画の素晴らしさを説明するものではないだろう。この映画はフレッシュな運動と、それを余裕で捉えるショットと、ユートピア的なロケの使いこなしほうが素晴らしい。私が上に書いてきたことはこの言語化が困難な映画についての収まりのいいコメントというだけである。

☆リマスター
自分が視聴したのはレンタルDVD。フォーカスはかなり甘い。リマスターしたものはアマゾンプライムで視聴可能なようだ。掲載されている画像の質感や色調は私が私のシステムで観たレンタルDVDとはだいぶ違う。本編の画質や色調がこの画像の通りならば、私だったら手を出さないで、レンタルDVDで我慢する。そんなことは杞憂で、リマスターが成功していることを祈りたい。優れた作品なのだから。
カラン

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