YasujiOshiba

昭和残侠伝 死んで貰いますのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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なぎちゃんと。篠崎さんに昭和残俠伝といえばこれを見なくちゃと言われて購入したBD。

初っ端の弱っちい高倉健が印象的。なにしろ料亭の一人息子なのに、父親の後添えの継母には腹違いの妹がいるという複雑な家を飛び出したボンボン。ほんとうは堅気なのに、やんちゃしてヤクザ家業に入ろうとするところだから、それでいいわけだ。

もちろん藤純子のほうも、15歳でアカギレだらけの手でお酒の買い出しに出される幼い芸者見習いで、家には他金が入ったのよと無邪気に語りながらも、まだまだその道には入りきっていない小娘ぶり。

そんなボンボンと小娘が、雨の大銀杏の下で出会う芝居は、なんとも芝居がかっているのに、あまりに堂に入っているものだから、ついつい見惚れてしまうのだけど、そこからあっという間に3年がたち、すっかりヤクザになった高倉健が、一度はぼこぼこにされた山本麟一のイカサマを見破るという成長ぶり。

いやね、その世界での成長は、ヤクザの世界への深入りでもわるわけで、決して喜べるものではない。それは喜べない堕落というものなのだけれど、ぼくらはおもわず興奮してしまう。それが任侠映画の醍醐味なのか。

映画はこれでいいのだろう。気が付けば藤純子もすっかり一人前の芸者。かつての「やくざのにいさん」を想いながら、男嫌いを通しているとしても、それはまたそれで、ひとつの堕落。

堕落してヤクザとなった健さんに、堕落して芸者となった藤純子。そんなふたりを見守るのは、古くから善良なヤクザの親分。不幸をもたらすのが新興の悪辣なヤクザの親分。そこに、引き立て役なのか主役なのかわからない池部良が、かたぎの板前でからんでくるのだけど、どうみたってどこかヤクザの影を引きずっているのがみそ。

おそらくは元ヤクザものの池部良。元は堅気の高倉健のだし巻き玉子の味に、料亭の血を感じ取るときの嫉妬ぶくみの寂しそうな顔がよい。だからこそ、健さんを堅気にひきもどし、でれば藤純子を見受けして〔ところであの三百円の大金はどうなったのかね。もしかするとすでに見受けはできていたのかな?〕、堅気の家庭を持ってもらいたいと願うのだろう。

そうでなければ、健さんが刑務所で出会ったチンピラヤクザの長門裕之を、むりやりに皿洗いにやとってやったりはしない。それは短気を起こして、ふたたび家を飛び出そうとするボンボンの健さんを、なんとか引きとどめようとする男気でなくてなんなのか。

にもかかわらず、だからやっぱり案の定、店の権利書は悪辣な新興のヤクザの親分手に渡り、取り返しに行く善良で古くからの親分は殺されてしまう。あとは、お決まりの殴り込みなのだけど、ここで健さんの歌声が聞こえてきちゃうと、もうあとは血と涙の立ち回り。やんややんや。

ラストがいいね。唐傘がさっと左右に開いて、お縄になった健さんが歩いてくる。藤純子が唐獅子牡丹に白い羽織をかけてやる。真っ赤の文字で「終」が出てきたらもう、たまりませんぜ。

1970年公開。ぼくはまだ小学生だもんな。卵焼き食べさせられて「おいしいよ」と言っている年頃だったんだよな。
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