河

シュザンヌの生き方の河のレビュー・感想・評価

シュザンヌの生き方(1963年製作の映画)
3.8
パッとしない主人公がいて、その親友は自分より下の存在として見下し、主人公を利用している。そして、主人公はそれを認めない、自身からその事実を隠蔽している。親友はシュザンヌという女をも利用していて、主人公はそれを認知している。そのため、シュザンヌと同じ位置に自分をおくことが自分が下であるという事実を認めることに繋がる。
親友はシュザンヌをより下の存在として主人公に認知させる。それによって、主人公は自分が下であるという事実を認めずに済み、親友と共犯関係になる。そして、親友が主人公の金を盗んだという事実をも認めることができなくなり、そうでない理由、シュザンヌが盗んだという理由を作り上げる。シュザンヌの友人の言うことにも耳を貸さない。
そして、主人公を利用し尽くした親友は姿を消し、主人公はシュザンヌがその上下の関係性から自由であり、主人公よりも下の存在ではなかったこと、そして親友も嫌々ではなく自分の趣味でシュザンヌを選んでいた、つまりシュザンヌは親友からも下の存在として認知されていなかったことに気づく。それによって、主人公一人のみが敗北した形になり終わる。

見てて非常に不快な気持ちになるのは、これが被支配者間に分断を作り上げ争わせるという、今の社会でも行われている方法そのままだからなんだと感じる。ロメールはあまり政治的な映画を取ってない印象だったけど、人間に普遍的な性質を撮れるからこそ、この人の映画は政治的でもあり得ているのかもしれない。

主人公とシュザンヌの置かれている位置は『コレクションする女』の主人公とコレクションしている女と同じで、その習作のような感覚がある。『コレクションする女』がかなり他人事のように見れたのに対して、この映画にかなり嫌さを感じたのは、この映画がかなり現実に忠実な感覚があるのに対して、『コレクションする女』では自分が下だと認められない主人公のプライドの高さが前面的に描かれていて、さらにその主人公の映画的な大挫折のショットもあるなど、かなり戯画的になっているからなんだと思った。
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