櫻イミト

ジュデックスの櫻イミトのレビュー・感想・評価

ジュデックス(1963年製作の映画)
4.5
「顔のない眼」(1959)のジョルジュ・フランジュ監督による、連続犯罪活劇「JUDEX」(1916:ルイ・フィヤード監督)のリメイク。後のユーロ・ホラー監督たちのバイブル的な一本。「ジュデックス」は“法の擁護者”の意味。

娘ジャクリーヌ(エディット・スコブ)の再婚を祝う仮面舞踏会を控えた悪徳銀行家ファブローの元に「罪を償うために金を人々に返せ、さもなくば舞踏会の夜に命を奪う ジュデックス」と手紙が届く。ファブローはこれを無視し、返金のクレームに来た老人を車ではね、孫娘の家庭教師マリー(フランシーヌ・ベルジェ)に結婚を迫る。仮面舞踏会の夜、鳥の仮面の男が手品を披露した直後、突然ファブローが卒倒し絶命する。この事件には意外な秘密が隠されていた。。。

このところ発掘しているユーロ・ホラーの影響元として本作の名が頻繁に挙がってくるのでHD画質版で再鑑賞。

美しい構図の中でシュルレアリズム風味の演出が展開する。それは沢山の映画監督たちに多大な影響を与えたルイ・フィヤード連続活劇の魅力であり、本作では理想的なアップデートと共に再現されていた。

脅迫状、鳥仮面の手品師、不可解な死、魅力的な女悪役、悪の集団、アジトのテレビギミック、壁よじ登り、屋根の上での戦闘・・・連続活劇で見覚えのあるシーンが、極めてスタイリッシュな撮影と垢ぬけた美術で再現され続々と登場する。

特にフランシーヌ・ベルジェが演じた仮面の悪役マリーはルックが良く、フィヤード監督のミューズだったミュジドラの悪の魅力をパワーアップして引き継ぐことに成功していた。女悪党キャラの原型となる全身黒タイツ姿はより完璧な形に進化し、クライマックスでは全身白タイツに身を包んだ軽業師の娘との対決が用意されている。

ヒロインを演ずるのは「顔のない眼」をはじめフランジュ監督作品には欠かせないミューズ、エディット・スコブ。本作でもまるで白昼夢のヒロインのような儚い存在感を発揮していた。

台詞は最小限に抑えられ、連続活劇オマージュの中間字幕も用いられる。凶悪犯罪が淡々としたタッチで描写されるシュールさも巧みな計算のもとで再現されている。

フランジュ監督はアンリ・ラングロワら三人で仏シネマテーク(映画博物館)を設立した人物。いわば“シネマテークの子どもたち”と称する『カイエ・デュ・シネマ』誌出身のヌーヴェル・ヴァーグ勢=ゴダール監督やトリュフォー監督らの親玉に当たる。映画の脳内アーカイブが充実しているのは言わずもがなで、本作のような引用に満ちたリメイク作を監督するには最適だったと言える。そこに監督自身の抜きんでた耽美趣味、怪奇趣味なクリエイトが加えられているのだから、映画史を内包したホラー映画として後進の聖典とされるのも納得できる話だ。

大昔にVHSで鑑賞した際には、本作の持つ魅力を現在のようには感じられなかった。フィヤード監督の連続活劇「ファントマ」(1914)「レ・ヴァンピール 吸血ギャング団」(1916)を鑑賞したことで自分の感性が磨かれたのだと思う。いつかオリジナルの「JUDEX」も見てみたい。

※ドアの開閉が頻繁に描写される。サイレント志向で台詞を抑えた演出の中でそれは有効に感じられる。この演出形式で連想するのは後期ブレッソン監督の”シネマトグラフ”やアケルマン監督作品。いわゆるシネフィル好みの作品群だ。個人的にそれらは形式が先走った本末転倒映画であり、支持しているのはカイエ系批評家筋と批評家の権威に踊らされたシネフィルたちだと考えている。嫌味を言わせてもらえばナルシスト同士が称え合う映画村のカルト集団に見えて仕方ない。しかし本作は彼らとの土俵とは違い一般向けエンターテイメント演出の一端として形式を活用している。開かれた映画である本作にこそ演出の何たるかを学びたい。
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