くまちゃん

知りすぎた少女のくまちゃんのレビュー・感想・評価

知りすぎた少女(1963年製作の映画)
3.7
ジャッロ映画の原点。殺人事件の目撃者となった少女が独自に捜査を進めるサスペンススリラー。

場面転換が多く時間を跳ぶ事で作品のテンポを良くしている。
遺書の偽造や真実を追い求めるジャーナリズムの排斥など、現代のサスペンスでも多用される設定が見られ、普遍性を感じた。
大きなナイフで女性が刺される現場を目撃した事実、それを推理小説好きという部分で疑われる。飲まされたアルコールも要因ではあるが、妄想や虚言とまで言われ孤立していく。
ちなみに飛行機で読んでいた推理小説はザ・ナイフ。
ノーラが気を失う場面がいくつかあり、
視界がぐらつく画面が歪む演出がなされていた。ランディーニの冤罪で浮浪者を逮捕へ追い詰めたことの回想でも映像が歪んでおり、ノーラの見たものが妄想なのかどうか信憑性への疑念を際立たせている。
バッシ医師はノーラに気があり終始口説いている。ノーラの気持ちを無視した言動が多いが、そこまで悪く見えないのはノーラの優しさに起因しているものと見える。
女性の目撃者、不謹慎にヒロインを口説く男性、不穏を予兆する鐘の音(ひったくりの部分)、犯人の視線(目)に対する執着、孤独なヒロインなどが同監督の「血ぬられた墓標」と類似している。
ただ「血ぬられた墓標」はヒロインが孤独で無力な保護の対象として描かれていたのに対し、今作は孤独であるが葛藤しながら恐怖を乗り越え、真相を暴く自立した女性として描かれている。
そういう意味でもバッシ医師の孤独で無力に見えたという発言は女性軽視であり、医師という職業柄プライドの高い印象を受けた。
マリファナタバコを受け取る場面から物語が始まり、マリファナタバコを捨てるところで物語は終焉を迎える。
マリファナを吸ったことで幻想なのではとの疑惑が再燃し、捨てたタバコをまた別の誰かが拾う。負の連鎖は際限ないことを示しているように受け取れる。

時折、モノローグ的な心情の説明が挿入されている。映像を見る限り、モノローグ無しでも成立する場面が多いため、推理小説というキーワードに掛けてあえて小説的な演出がなされているのではないかと感じた。
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