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くたばれ愚連隊のnetfilmsのレビュー・感想・評価

くたばれ愚連隊(1960年製作の映画)
3.7
 トグロ巻くような鳴門の渦潮をひとしきり捉えた後、カメラは淡路島を空から眺める。よくぞ日活もBライン映画で空撮を許したものだと思った矢先、和田浩治がぶっきらぼうに歌うハマクラ・メロディが終わりを告げる。郁代という名の老婆(細川ちか子)は東京に住む孫息子を見つけようと躍起になっているが、広い東京ではそう簡単には見つからない。そんな折、東京ではレインボー・アート社という看板屋の大親爺である大作(紀原耕)がよそ見したキャデラックの餌食となり、あの世へと旅立つ。大作の最後の弟子だった定夫(和田浩治)は彼の遺志を継ごうと、大作の娘のミヨ(禰津良子)とボーイの三平(亀山靖博)たちを引き連れ、看板屋を継ぐつもりだったがそこに思わぬ邪魔が入る。極東観光の事故係は、3万円で示談にしようとやってくるが定夫は逆上し、被疑者の南條(近藤宏)から逆に100万円を踏んだ食って帰る。その報せを3面記事で見た井関という弁護士で探偵(高品格)は、彼こそが後継者だと確信する。井関の依頼主は老婆の郁代で、先代の隠し子である定夫は淡路島の由緒正しき松平家の次の当主となる人物だった。最初はヤバイ話に首を縦に振らなかった定夫だったが、彼は生まれてから一度も顔も見たことのない母親に会うために、東京から淡路島行きを決意する。

 鈴木清順初のカラー映画はおそらく、ある程度の潤沢な資金を確保出来たのだろう。東京から場所を変えて淡路島で繰り広げられる権力闘争の全ての原因は松平家の跡取りとなる松平定夫が淡路島に降り立ってから引き起こされる。東京で非行を繰り返したハイティーンの無軌道な抵抗は、見事な母を訪ねて三千里になるものの、いきなり看板屋の看板を背負わされた火の玉小僧と、母を妾にした南條とは淡路島でも東京でも居場所を問わず、最初から殺し合う運命にあったのかもしれない。窮屈な撮影所を脱する鈴木清順の冒険は映画を撮影所の呪縛から解き放つ意味以上に、上層部の庇護を抜けてのびのびやりたい思いもあったのだろう。彼は淡路島という片田舎で石原裕次郎によく似た和田浩治を主人公とし、船や車やおまけに田舎で馬まで走らせて(それも数頭走らせるなどやりたい放題)、当時の日活のAラインの作風を崩した見事なB級西部劇をやってのける。東京で極東観光を経営する南條は淡路島でも手広くキャバレーをやっていて、定夫の義理の弟を殺めてでも松平家の所有する旅館や牧場を意のままにしようと企んでいた。生活の全ての面倒を見る南條と実の息子である定夫との板挟みで悶える前原由紀(東恵美子)のアンヴィバレントな感情に添うように、西部劇に相応しいゴツゴツとした岩山の地形の中で、息子の銃が突如火を噴く。ラストの淡路交通の列車とジープの並走、そして鳴門の渦潮と円形の祭りの列とがもみ合うように溶け合う姿に、映画に魅せられた狂った清順の暴発するイメージが、まさに爆発寸前の輝きを見せながら不敵に微笑んでいる。
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