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不思議惑星キン・ザ・ザのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

街中で裸足の男が怪しげなことを口走っている。自分は空間転移装置の事故で異星から飛ばされてきた者だと言うのだ。偶然、この男に話しかけたウラジミールとゲデバンは、同じく男が手にしていた転移装置で、キン・ザ・ザ星雲の惑星ブリュクに飛ばされてしまう。突然辺りは一面の砂漠となり、焦る2人だが…。

自分の住む地方のレンタルショップでは、お目にかかれない珍品(カルト)映画。
もう見ることは出来ないと諦めていたが、Amazonプライムに感謝である。
1986年ソビエト連邦時代のジョージア(グルジア)で製作され、当時のソ連で大ヒットを記録したSFコメディの傑作。
そのシュールな世界観は今見ても斬新だ。

まず、空間移動の演出が見事。
小さなリモコンらしき装置のボタンを押しただけで一瞬で背景が切り替わり、街のざわめきが途絶え、砂漠に飛ばされる。
何が起きたのかさえ気づけない。
現代の地球の技術水準からは想像も、原理の推測もできない。

空間移動したウラジミール氏と、巻き込まれたバイオリン弾きの青年ゲデバンのリアクションも秀逸で「マジかよ、やっちまった」という困惑が表情からありありと見える。
あり得ない現象が起こったらこうなることは必至だろう。

状況を呑み込めぬまま、砂漠が地球のどこかだと仮定して街を目指す2人。
しかし、起こる出来事は、そこが異星であるを決定付ける。
遠方の空からこれまた原理の分からぬ釣鐘型の飛行物体が彼らの前に飛来する。
このボロボロさ加減が今でいうスチームパンクだ。

宇宙船らしき飛行物体が着陸すると、中から2人の男が現れる。
男たちは謎の音に合わせて「クー!」と叫びながら挨拶を繰り返す。
もう全く意味が分からない。

だが、それは見ている者だけでなく、劇中のウラジミール氏とゲデバンにとっても同様だ。
現れた男2人は「クー」という言葉だけで、何やら話し合っているようだが、考えは全く読めない。
英語も仏語も通じない。
彼らは笑顔も見せるが、それは善意というより何か別の意図が感じられる。

ともかく身振り手振りでコミュニケーションを試み、船に乗せてもらう代わりにコートと毛皮の帽子を男たちに与える。
交換が成立と思いきや、男たちは荷物を奪ったまま飛び去っていく。
立ち尽くすウラジミール氏とゲデバン。
あまりに理不尽すぎる。
しかし、この理不尽、異国の地で感じる異文化との遭遇にどこか似ている。
相手の表情が善意か悪意かも分からず、言葉も通じないあの状況。

異星人たちが去ったときの「とりあえず命があって良かった」という安堵感。
地球でも治安悪いところであり得る得体が知れない怖さは、まさに異星人(異文化)との遭遇である。

さて、宇宙船が飛び去った後、ウラジミール氏が一服しようとマッチを擦ると、再び宇宙船が戻ってくる。
どうやらこの星では、マッチが超高価な物質なのだ。
そこで2人はマッチの価値を利用して、何とか地球へ帰ろうとする。

宇宙船に乗せてもらい、狭い船内で互いを探り合うウラジミール氏及びゲデバンと、異星人の男2人。
やがて異星人は突然ロシア語を話し出す。
「何だ、ロシア語喋れるじゃないか」と指摘するウラジミール氏に対して、「言語中枢の読解は難しいんだ」と男たちは答える。

どうやら異星人は思考が読みとれるのだ。
ようやく彼らが「クー!」しか発話しない理由が見えてくる。
テレパシーのように互いに思考が読み取れるこの世界では、わざわざ言葉を使う必要がないのだ。
思考の直接伝達が言葉を単純化させているである。
私たちも他人の感情を読み取る道具を手に入れたとき、言葉を失うのかもしれない。

地球に帰るには「加速器」なる装置が宇宙船に必要で、ウラジミール氏は異星人たちとマッチと引き換えの交渉を始める。
まるでユルいロードムービーのような展開に。

ウラジミール氏はある交渉で、「ウソだと思うなら、オレの思考を読み取ってみろ」と伝える。
言われた相手は思考を読み取るが、それは「妻は大丈夫かな」というもの。
対してウラジーミル氏は「そうじゃない、もっと表層を」と指摘する。

小さな場面だが、これは異星文明と格闘するウラジミール氏が実は地球に残した妻を心配し続けていることを、さりげない会話で秀逸に表現している。
思いがけず地球に電話が通じたときも声を荒げ涙する様子とか、漂流者の心細さが伝わってくる。
演技の巧みさはウラジミール氏にとどまらず、各登場人物とも個性的で人間味あふれて素晴らしい。
旅の過程で分かっていくのだが、チャトル人とパッツ人という身分制度、さらにはエツィロップによる支配という理不尽な社会制度は当時のソ連の体制に対する風刺か?

ステテコの色で身分が分かるというのもユルいが、マッチを全て失ったウラジミール氏がゲデバンのバイオリンを弾いて、聞くに耐えない音楽(異星人には芸術)で旅費を稼ぐ姿も何ともユルい。
この酷い音楽が魅力的に聞こえるというのも西側諸国の音楽の風刺なんだろう。

クライマックスで、どうにか加速機を手に入れ、いざ地球帰還の機会が現れたとき、これまで世話になった宇宙人2人が支配階級に捕まってしまう。
そこで地球に戻るか、時間を戻すかの選択を迫られるウラジミール氏とゲデバンは
義理堅く宇宙人たちを助けるため過去に戻ることを選択。
支配階級に逆らうウラジミール氏に心意気を感じるとともに、体制への反骨精神を感じてしまう。

時間を戻し、宇宙人を助けた2人は行きと同じ男と出会い、帰りも一瞬で帰還。
何事もなかったかのように元の日常に戻る。
ウラジミール氏が家へ帰ると、奥さんからお使いを頼まれて外出。

冒頭の繰り返しに「もしかして夢オチか?」と思っているとバイオリンを抱えたゲデバンが道を尋ねてくる。
その時、くるくると回るランプをつけた清掃車が二人の横を通り過ぎ、ウラジミール氏とゲデバンはとっさに頬を二回叩き「クー!」と挨拶。
もちろん他にそんなことをする人など街(地球)にはいない。
2人は驚いてお互いの顔をまじまじと見つめ、地球へ帰還したことを喜びあうのだった。

独特の世界観、考え込まれたSF設定、そして人物の描写。
一見ユルユルに見えて、どれをとっても実は良くできている。
SFとして科学的な考察や説明がないのだが、下手な説明がないからこそ人智を超えた異世界の文明なのだと割り切れる。
難点は、このシュールでユルい世界観とテンポに最後までついていけるかどうかだ。

思えば、1986年と言えばまさにチェルノブイリ原発事故の年。
ソ連はまだ崩壊していなかったが、共産党の一党独裁は限界に近く、ゴルバチョフのペレストロイカ、グラスノスチを毎日耳にした頃。

ソ連時代の鉄の規律と軍事力による統制。
それらに対する痛烈な風刺が本作には込められている。
ここまで滑稽に描いているのは、そうでなければ当局の検閲を潜り抜けられなかったためだろう。

だが、風刺を抜きにしても、コメディとして充分に楽しい。
ユーモア溢れる低予算なSFの鏡である。
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