うえびん

不思議惑星キン・ザ・ザのうえびんのレビュー・感想・評価

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986年製作の映画)
3.9
意味不明で意味深長

1986年 ソ連作品

こういう世界観は好きだ。異世界なのに既視感も感じられる。アメリカ映画のリアルな宇宙の描写とは違った、シュールで独創的な世界観は、ロシア的宇宙観とでも呼ぶべきか。タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』にも同様のものを感じた。

アメリカ的宇宙観では、地球と惑星が対立構造で、地球人と地球外生命体は、征服、侵略、支配の関係性で描かれることが多いように思う。一方、本作では、地球と惑星は、隣の異文化の国で対等、地球人と宇宙人は、たまたま出会ってしまった異国の人同士といった感じで描かれている。僕の宇宙に対する感覚もこちらに近い。だから、作品の世界観に入りやすかった。

ストーリーは、まったく意味不明。「クー」と「キュー」が耳にこびりついて離れない。だけど、意味の通る部分から推察してゆくと、深長な意味が込められている気がしてくる。

チャトル人とパッツ人、人種差別
牢に入って芸する芸人、バイオリン弾き
横暴で怠惰なエツィロップ(権力者)
黄色と赤のステテコ
マッチ(カツェ)と貨幣(チャトル)
「キュー」(公用の罵倒語)
「クー」(その他すべての言語)

この世界と物語は、壮大な人間社会の戯画ではないかと思えてくる。本作の公開年は、ゴルバチョフ大統領のペレストロイカが始まり、チェルノブイリ原発事故が起こっている。

ソ連に象徴される社会主義と、アメリカに象徴される資本主義、それぞれのイデオロギーの滑稽さを地球外惑星に見立てて描き出そうとしたんじゃないか、そう思えてくる。

ソビエト社会主義連邦時代の検閲をくぐり抜けて上映できる、ギリギリの線を攻めたんじゃないかとも思える。だからこそ、30年以上経っても色褪せない何かが映し記されているんだと思う。「ママ、ママ、どうしよう~」それは、何だったのだろうか。

『株式会社という病』(平川克美著)


旧ソ連や東ドイツ・東欧の社会主義体制が崩壊した今、「社会主義」とは失敗したレジーム(体制)の代名詞のように使われるようになってしまった。当時も今もよく言われることだが、自由をとるか、平等をとるかといった二者択一は、経済体制とは実はあまり関係がない。そもそも自由と平等は対立概念ではない。どちらをとるかといえば、どちらもと言うのが正しい態度である。自由も平等も、どちらも大切な理念であり、それをどのように実現するのかという手続きと、プライオリティが問題なのである。(中略)

私が言いたかったのはただ一つのことである。ある詩人は、それをたった二行で表現している。私は何万語も書いてきて、この二行を解説してきたようなものである。

 光を集める生活は
 それだけ深い闇をつくり出すだろう

資本主義の高度化、都市化、利便性の向上、金融経済の進展といったものは、すべて「光を集める生活」を人々が求めてきた結果である。しかし、光を集めた分だけ、私たちは闇の部分をも作り出してきたはずである。しかし、右肩上がりで成長を続けなければならないという強迫観念は、それが強ければ強いだけ、闇の部分を隠蔽するという結果を生み出す。別の言い方をするならば、光とは闇を照らすものであると同時に、闇は光にとって必要なものでもあるのだ。たぶん、そういうことではないだろうか。(中略)

世界は(中略)単純にはできていない。経済について考えるなら、国家管理の計画経済から、市場原理主義との間に、いくつもの折衷案や、修正案の多様なグラデーションがありうるはずである。それらはどれが正しくて、どれが間違っていると、ひと言で言えるようなものではない。結果的に社会に有効に機能した経済政策というものが正しいオプションであったと、事後的に言えるだけである。しかも、現在それが正しい選択であったとしても、それが将来にわたって正しいかどうかということは誰も保証することはできない。そこには、経済を左右する様々なファクターが複雑に交渉し合い、影響を与え合っているからである。(中略)

人間の世界はいつも、暫定的であり、変化の途上にある。

世界は単純でもなければ、とりわけ複雑なものでもないだろう。ただ、世界を単純化して考えたいと思う気持ちが単純な世界を現出し、複雑だと思えばいくらでも錯綜した世界を描きうる。

おとなの選択とは、いつも物事には極端な両論の中間に、様々な色合いをもった意見があり、正しい選択というものはないかもしれないが、いつも最悪の選択を避けながら試行錯誤を続けるしかないということを知るということである。それが、現実と対話をしながら物語を進めてゆく態度であり、かれの前に真相は、極論と極論の中ほどに現れるのである。


社会主義国の現実と対話した上での創作。「クー」の中に、極論と極論の中ほどに現れる真相があったのかもしれない。
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