まりぃくりすてぃ

袴田巖 夢の間の世の中のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

袴田巖 夢の間の世の中(2016年製作の映画)
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袴田巖さんの無罪が確定したら、日本政府は巖さんと姉の秀子さんに (お金の十全な補償だけでなく) 国民栄誉賞を贈るべきですね♪ 秀子さんを法相にするのもいい。そしてノルウェイの委員会は、ノーベル平和賞を二人と支援者たちに贈りましょうね♪ 期待しております✨✨
求められるのは、人の道。


この映画の印象的シーンは…

❶ 「私が体力を落とすわけにはいかない」とお姉さんがソファーの上で毎日行っている筋トレ(腹筋)✨
❷ 刑務所内でずっと続けてきた行為をやめることができない巖さんが毎日部屋の中を機械のように行ったり来たりひたすら歩き回る😨😨
❸ 死刑囚ということで足の爪をめったに切らせてもらえなかったために、巖さんの足の爪は鷲の爪のように恐ろしくカギ状にボロボロに変形している😰😰😰😰
❹ 巖さんが将棋で監督を負かしては「はっはっ。まだまだだな」と楽しそうに笑う😊


▼▼注意▼▼
ここから先は、少し危険な文章になります🖌️





既に多くの人が「じゃあ、真犯人は誰?🤔🤔🤔」と暇つぶしに調べたりして、顔写真つきでMさん (殺された被害者家族のうちの唯一の生き残り・当時19歳の勘当され中だった長女) を犯人扱いしてるいくつもの記事に接してしまっていると思います。
ここで「ウン、怪しすぎる😕😕😕」と短絡的に彼女を真犯人視することは、袴田巌さんに冤罪の苦しみを強いた悪魔的世間 (もちろん、その首謀者は静岡県警と検察と裁判官たちの一部。マスコミも大いに加担) がやったのと同じ愚行です。
私は、袴田さんの無実を10000%信じていることを前提に、あえてMさんの国選弁護をしてみたいと思います。

まず、客観的事実として、「殺された四人のうち、最も無残にまるで怨恨ゆえのごとく破壊されて殺されていた次女・橋本扶示子さん(当時17歳)が、熱烈なザ・ビートルズファンであり、事件前日に初来日して事件当日に初回公演を日本武道館で行ったビートルズの、二日目公演チケットをゲットして、東京行きのためのドレスを親に買ってもらってそれはそれはウキウキしていた。そんなタイミングで何者かに突如殺された」というのがあります。(武道館使用に関して右翼がビートルズへのテロ予告をするなどの不穏情勢があり、警視庁が警護のために3万5千人もの警官を動員していた夜ですから、静岡県警からも大量応援は当然したはずで、殺しのプロたちが味噌会社専務宅で事件を起こすとしたらうってつけの晩だったと思えます。)
それと、真偽の確認はとれませんが、「次女の死体の頭の下には生理用ショーツが、背中の下にはビートルズ公演のチケットがあった。ひどい悪意がありすぎた。そしてチケットは、袴田さんからプレゼントされたものだった」というネット記事も私は読みました。

もしも、次女と当時不仲であったとされる長女が次女らへの殺人に関わっているとしたら、長女はその後の67歳までの人生において、ビートルズの音楽を、怖くて怖くて、聴くことはできなかったでしょう。
それが例えば煽り立てのリズムが快感である50セントやエミネムであれば、自分が殺めた妹が愛していた音楽であっても、平気で大音量で聴いて酒を飲むこともできたかもしれない。でも、ビートルズは、「和音の範囲内にずっとある旋律」の美しさと、主に「愛と精神性」を説く歌詞と、二声・三声の完璧ハーモニーヴォーカルを基本にした大衆音楽なので、私たちがビートルズに惹かれている時に脳が感じ取っているものは、第一に「調和」なのです。
したがって、妹ら家族を怨恨と若気の至りで殺害した女性が、その後平然とビートルズを聴くことは、できません。これはビートルズの魅力の本質を理解していれば全世界のほぼすべての人がわかることです。 
しかも、袴田さんの死刑が最高裁で確定され、さらに判決訂正申立が却下された1980年11〜12月における地球最大のトップニュースは、ジョン・レノン暗殺だったのではないかと私は思いを馳せます。
ビートルズを武道館に見に行く前夜に死んだ可哀そうな妹を「殺した」とされる袴田さんの、死刑が初めて正式に確定したタイミングで起こった「レノン暗殺」に、姉が動揺し、何かを思ったのは、間違いありません。「関心なかった」などということはまずないのです。

もしも、そんな姉が殺人者だとしたら、彼女は何歳になってもビートルズを極力避け続けたでしょう。人間の心とは、そういうものです。
けれど、一種特別な感慨をもって、いずれかの時期にレノンの「イマジン」ぐらいには惹かれたとしても、おかしくはない。レノンの放つ「愛、平和、反骨」のロックの普遍性はハンパないですし、解散後のレノンが「僕はビートルズを信じない。ポール・マッカートニーを信じない」と歌ってビートルズを「否定」したことも、ビートルズを聴く勇気を持てない犯罪者にとっては「とっつきやすさ&プチ贖罪のヒリヒリした心地よさ」をくれる好材料だったことでしょう。(←あくまでも仮定の話です。ご注意。)
しかしながら、ビートルズ好きの妹を殺した姉であるならば、マッカートニーの音楽を聴いたり好きになったりすることは、一生ムリだったはずです。なぜなら、世界音楽史において、「マッカートニーミュージック」は、「ビートルズへの全肯定」をおおらかに含む概念だからです。

もし万が一、姉が嘘つきな真犯人(首謀者または共犯者)であったとすれば、彼女は、年とってからの自分の風貌が、ビートルズ解散後のレノン(のよく知られた簡略的な自画像)そっくりであることを鏡でふと知って愕然としたかもしれず、マッカートニーが1966年以来約48年ぶりに武道館公演を行うその直前、という微妙すぎるタイミングで袴田さんの再審&釈放が決まったことに「ふりだしに戻るんだ」と怯えきり、または混乱し、万事休する前に自殺した、という流れもありえます。(静岡県警は「病死」と早々断定してますが、誰がそんなの信じるかってば。)

……「馬鹿な少女さん、自分が何をしたかを見なよ」(ポール・マッカートニー/マーサ・マイ・ディア 1968年)

……「君はその重荷を背負っていくんだ。これから長い間ずっと」(ポール・マッカートニー/キャリー・ザット・ウェイト 1969年)

可能性と蓋然性の総和こそが刑事裁判においては大切なので、客観性の範囲内で想像を逞しくしてみました。長女を私が犯人視しているわけではもちろんありません。くれぐれも。。

なお、獄中の袴田さん宛てに、世界25カ国から12000通以上の励ましの手紙が届いたそうですが、その約半数は、英国からの手紙だったとのこと。ビートルズ初来日公演初夜にビートルズの熱烈ファンだった次女さんが殺されたこと、そしてその年から袴田さんが収監され続けていることを、英国の多くの人が知ったからこそ、痛ましさ・いたわしさでそのような励ましをくれたのだと私は推測します。

さて、弁護士として私は、最後に確信持って提言します。長女さんにかけられているらしい嫌疑を晴らすためには、「1966年以降、(いつの頃からか、妹への哀悼心もあって) 長女はビートルズを愛聴してきた。特に、マッカートニーを気に入っていた。2014年5月のマッカートニーの幻の武道館公演を楽しみにしていた」ということの、証拠を出せばいいのです。
いとも簡単。長女さんの潔白を証明したい方は、是非彼女の指紋のいっぱいついたビートルズやウイングスやソロポール等の音楽ソフト、コンサートチケット、ビートルズ愛を語る日記・手紙、ファンクラブ(BCC/BC)在籍歴、それに証言などを、世に示してください。
最強の無罪立証になります。

……「お願いだから、僕を思い出してくれ。恋しいマーサ。僕を忘れないでくれ。愛しいマーサ」(ポール・マッカートニー/マーサ・マイ・ディア 1968年)