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NICO/ニコ 裸の堕天使のNMのレビュー・感想・評価

NICO/ニコ 裸の堕天使(2005年製作の映画)
2.8
オープニング、呆然としたような朦朧としたようなニコ登場。医師の問いかけにも反応は鈍い。
何かとんでもないことが起きた末にこうなってしまうのかと暗い想像をさせる……。

時間が戻り、再度登場したニコは、自分の誕生日パーティーだというのに気だるげ。いかにもこのあと転落の運命を辿りそう。
スイスの湖畔近くにある豪邸に若者が大勢集まり、プールサイドでは差し入れに届いた白い粉末を吸い放題。
客はこれだけいても、彼女に本当の親友は一人しかいなかった。
それ以外の客をニコは気まぐれに追い出す。

母親は、気分や態度が不安定なようだが、ニコたちと違ってその薬は医師に処方されたものだ。
母は比較的安全な範囲で悲しんだりもがいたりしていて、何だか正しい病み方にも思えた。

多忙な父と会えるのは金を使い過ぎた時の説教だけ。それもほんの短時間、数回の言葉しか交わせない。

ニコは家庭の暖かさを知らない。

一方、ツアーでライブハウスを回るラップシンガーのパコ。
客が要求するのはいつも同じヒット曲ばかり。新曲のバンリュー(「郊外」の意。文脈ではスラム街のこと。)の歌なのに、MV製作陣は関係ない水着美女を踊らせるものにしようとし、パコはげんなり。
他のメンバーは、金が入れば良いと割り切っている。

パコは自分の表現に様々な制限がかけられ、鬱憤を募らせている。

そこで出会ったニコは、きっと救い主のように見えただろう。
パコも、他から見れば成功者だが、額に汗して働いてきた親は自分の仕事を理解しないし、弟はあれだし、メンバーともすれ違い、彼も孤独を感じていた。

彼が冒頭からカメラ目線で、この日ニコと出会って運命が変わる、と観客に直接語り掛ける。最初に言ってしまうとは大胆。
それにより一気に映画に入りこむが、二人ともイラついていてなかなか恋に発展しない。2、3回焦らされる。

劇中歌「Esa Cosa」は懐かしさを感じさせる。詞のテーマは古びないが、サウンドはひと昔前のクラブミュージックといった感じ。
パコが語る、彼らのユニットMENACE EVASIONE(メナス・エバジオン)の紹介が面白い。音楽性が違い過ぎる(笑)。なんで組んだんだか。
だがパコだって時々ツアーバスから一人でふらりと降りてしまうようで、皆はみ出し者という意味で共通点はある。

ずっと親の金で遊び放題、パトロンのお陰でクスリも使い放題で仕事にも困らなかったニコは、やっと普通の人に恋をした引き換えに、それらが一気に離れていく。
一人を残して、大勢いたはずの友人はとっくにいない。彼らが本当の友達でないことはニコ自身知っていた。

それまでニコは必死になって働いた経験などなく、嫌いな奴に頭を下げたり上手く立ち回って交渉したりしたこともなく、自分の力だけではどうにもならない。

劇団などは特に、必死に謝って心を入れ替えると訴えれば首の皮一枚つながったかもしれないが、気ままに振舞ってきたニコはそれが思いつきもしない。
お姫様育ち、一切のコネクションも資金もなく底辺から這い上がるなどできない。
住む所も仕事も夢も滞る。そうなると恋もままならない。

パコまでも、すぐには変われないニコを理解できない。

親友には大きな借りができ、もう他に頼れる人もいない。
ついに性を叩き売るしかなくなるが、接客業の極みとも言える仕事は、気持ちとは別の割り切った行動をすることのできないニコにはむしろ一番向いていない仕事だった。

この、頼る人が一人だけという状況は、薬物依存者にとって非常に危険な状況だと聞いたことがある。その人に過剰にすがるようになってしまい、その人とともに堕ちていきやすい。パコの弟もそんなセリフを言う。

ニコは踏ん切りを付けるため一気にクスリを使い、観ている方はちょっとヤバいのでは、危ないぞと思うが、倒れたのは意外にもニコではなかった。

パコと出会ったとき輝いていた笑顔は姿を消し、どんどん表情がきつくなっていくニコ。
親友以外には弱みを見せられず、パコにもかえって自虐的な態度を取ってしまう。

やがて一人きり、ふらふらと町をさまよう。これ以上ないほど打ちのめされ、もう少女のように泣くばかり。
ニコは始めから、何もできない少女でしかなかった。

眼の下は真っ黒になり、いつからか天気もずっと悪い。対照的にニコの部屋は明るい。

最悪の夜のあとの画面はホワイトアウトのよう。辺り一面雪が積もり静まり返って、BGMも幻想的な雰囲気。

そしてついに王子様が迎えに来て再会を果たす。

長かった。また会うというだけでこんなにも時間がかかるとは。
しかしだからこそ、今度こそ離れない予感もした。
価値観が真逆だった二人が出会い恋をするということは、あまりにたくさんの試練が必要だった。
毒リンゴを食べ続けてきたスノーホワイト(白雪姫)の解毒は簡単ではないということか。

ストーリーは滑り落ちる一方だったが、最後の最後でスキージャンプのようにふわりと希望が訪れる。
「彼女と出会って生き返った気がした」と語っていたパコ。
だからこそ今度はニコを蘇生させなくてはならない。

悪魔のように見えていた元パトロンのボリスも、血も涙もないわけではないと分かり、彼の立場を思えば当然の対応だった気もした。代わりの女はいくらでもいるようにみえて、俺を「捨てた」という表現を使っており、本当は若い女に捨てられた悔しさ切なさを感じていたとしてもおかしくない。

ボリスもニコもなかなか自分を曲げられない。
しかしパコは困っているニコのためなら、嫌いなやつでもすぐにお願いをした。

原題はスノーホワイト。ニコのあだ名。強調するように二回繰り返された。真っ白い肌に映える黒髪に黒い水着、クラブではコルセットのような白いトップス、そして真っ白な部屋で真っ白なベッドに横たわる姿などは、冒頭からどことなくスノーホワイトをイメージさせていたようにも思えた。最後は王子様が目覚めさせるスノーホワイトそのもの。

時折見られた、素人のような映像加工が謎だった。そこまで昔の作品ではないのに驚くほど酷い箇所が。一般人がビデオ編集したような、パコが撮ったMVや、電話のシーンで相手映像の切り取りを乱暴に張り付けたような、或いは漫画のコマ割りのような。予算が尽きたのか、そこだけ別の人が作ったのかと思う。他は悪くないので残念。

ニコ役フルニエは、怒る演技より泣く演技が上手かった。

母親役ズニー・メレスの、急に表情をころころ変える演技は秀逸。大きく見開いた眼はあちこち泳ぐ。

パコの「人への助言って自分にも当てはまるよな」が印象的だった。
パコ役のカルロス・レアルは、実際にスイスのフランス語使用地区出身のラッパー兼俳優、ガリシア移民の家庭。『命の相続人』にも出ていると知りどの役か必死に思い出そうとしたが、あの銃の男だろうか。いつか確認しよう。

悪くない作品だった記憶があるので何年ぶりかに二度目の鑑賞。前回より理解できた感触。同じ映画を何度も観ることは必ずしも無駄ではない。といいつつ忘れないよう今度こそ記録しておく。
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