暴力と破滅の運び手

トゥー・ラバーズの暴力と破滅の運び手のレビュー・感想・評価

トゥー・ラバーズ(2008年製作の映画)
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 海に身投げをしたホアキン・フェニックスの目に水面に反射した街灯が映り、婚約破棄の記憶が蘇る──という「これから画面内スクリーンの話をします!」と宣言するかのような冒頭から数分おきに間取りによる画面分割/光源によるスクリーンの存在の仄めかし/壁に映る影/硝子の反射……などが続く。ジェームズ・グレイはどうしてもホアキン・フェニックスにスクリーンを通して「過去の回想」「夢想あるいはあり得たかもしれない未来」を見せたいらしい。そういうわけでホアキン・フェニックスは何も映らない夜の海から引き返し、自分と一家の未来を救ってくれる女とハグをしながらうつろな室内照明を見つめる。
 とにかく終始ホアキン・フェニックスが不気味というか、マフィアものから女絡みの部分を抜き出したらこんな感じだよねという薄暗い雰囲気を常に漂わせているのだが、ただ「親がめあわせてくれたファミリー(※ユダヤ教コミュニティ)の娘」を振り捨てて「教養があり美しいが貧乏な女」と駆け落ちしようとするという話なので不自然という感じではない。
 グウィネス・パルトローがかなり「あたしってバカよね」を好演しており、多分あんまりバカではない(主人公がある種の上昇婚へのオファーとその否定衝動で動いていることの対比でパルトローとその不倫相手との挿話を見るなら、パルトローのキャラがもともと良家の出だと言及されることなどを考えるとかなり実際的な考えから寝取っているようにも思える)。彼女のなんとも言えない即物的な演技はホアキン・フェニックスが映画を見るようにしかパルトローを愛していないことを思わせ、廊下を歩いて出てくるシーンはスクリーンから出てくることを示唆する終わりだ。
 ホアキン・フェニックスをクリーニング店で働かせるのは無理がある。ホアキンの部屋の前で盗み聞きをする母親が俊敏に起き上がるカットはちょっと黒沢清っぽいフィジカルな不気味さがあり笑ってしまった。