セキ

フレンチ・コネクションのセキのネタバレレビュー・内容・結末

フレンチ・コネクション(1971年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

ドキュメンタリー監督だったフリードキンならではの実録麻薬取り締まり殺し合い追跡映画。
『勝手にしやがれ』に影響されたと語ってる通り、基本手持ちでブレブレの映像が続く。話の筋としてどこに向かっているのかが不透明なまま進んでいくストーリーとある意味でリンクしているのでずっと不安定に映画が加速し続けていく。
フリードキンはクロスカッティングの天才でしょう。終始尾行しているので流石に飽きそうにもなったけど、ミッドポイントで急に始まる電車と車のチェイスシーンは本当に最高で、初期映画から脈々と続くアトラクションの映画とはまさにこのことだなと思った。このシークエンスのショット構成が的確に的確を重ねていて映画機能をふんだんに使っている。やはりフリードキンの映画は、展開を台詞ではなくアクションで作る。これがとことん巧い。

黒沢清が『CURE』の作劇を説明する時に出てくる"前半のアメリカン"というのはこれだろうなとなんとなくだけど思った。
『その男〜』への影響もやはり計り知れないもので、ただ追いかける追いかけられる関係性に映画を見出しているのが印象的だった。

そして最後が何よりも怖い。廃墟で一斉検挙を実行する警察。もはや殆どの悪党が逮捕された後に、何かまだそこに残っている敵を見つけるために虚を追って歩く主人公。仲間を間違えて撃ち殺たりもする。それでも敵を探して廃墟の奥へ消えていくというとんでもない終わり方をする。主人公に正義を置いていないのは序盤からわかっていたが、あのラストで彼がもはや信念や仕事ではなく、悪を破滅させることに快楽すら感じているということを決定づけて映画を閉じている訳で、この実録ものとしての批判性はとても堪えた。そんでそれを不気味に悍ましいものがすぐその奥にいるかのように見せて終わらすのがフリードキンのやばいところで男らしさを感じる。
このクライマックスの廃墟の造形と見せ方に関しても『CURE』の終盤にめちゃくちゃ似ている訳で影響は否めない。
セキ

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