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ピーター・パンのrensaurusのレビュー・感想・評価

ピーター・パン(1953年製作の映画)
4.5
『童心の素晴らしさ』と『子供の怖さ』をどちらも内包した名作。

まずは何と言っても登場する子供たちがピーター・パンという存在を、信じて疑っていないという点。何かを根拠なく信じていられるというのは童心の特権とも言うべき特質であり、確固たる信心に伴う活動から生まれる充実感は何にも代え難い。

そして楽しいことを思い浮かべると飛べるという表現。童心の浮き足立つようなあの高揚感が視覚化されたようでこちらも胸躍らずにはいられない。

ピーター・パン、ティンカー・ベルはもちろん子供。その行動原理は自分勝手そのものであり、人の気持ちというものを置き去りにする。いじめられているウェンディを側から見て爆笑したり、自分にとって都合が悪いと何の躊躇いもなく殺そうとしたりするシーンに顕著で、善悪やその後を一切鑑みない行動や、死の軽視にはやはり恐怖感がある。

ピーター・パンを子供たらしめているのは『母の愛』を知らないからであろう。劇中、ウェンディがお母さんの歌を歌ったとき、他の子供は母の愛を思い出し、安らかな雰囲気になったが、ピーター・パンはガン無視。「お母さんって何?」的な発言があったように、もはや母親を知らないのである。それを埋める何かを遊んで求めているようで、不憫にさえ思えてくるのがすごいところ。やっぱり母親の存在は人格形成に影響があるように思えてならない。愛情が与えられれば父親でも良いのかも知れないが、父親に本能的な安心感を感じたことがあまりないので自分にはピンと来ない。

あとはフック船長。チクタクワニに追われているのは時間に追われる大人の風刺だという説も頷ける。そう見ると余計に面白い。それに加え、死を恐れ、約束(契約)を守り、戦略的で教養を感じるキャラクターにも大人を感じ、大人を表すに相応しいキャラだ。

エンディングも素敵。ウェンディのみが窓辺で寝ていて、帰ってきた両親に旅の思い出を語りながら皆んなで童心に浸る。本当素晴らしいですわ。最高。快眠をお約束します。

一部、インディアン関連で差別的な表現があり、ちょいちょいモヤッとすることもありますが、それが為に全てを否定することはできないし、世界的にその有害性を認識できるようになったのは良いことでもあると感じます。
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