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TOMORROW パーマネントライフを探してのAKALIVEのレビュー・感想・評価

5.0
塚田万理奈監督の『空(カラ)の味』(2016)を観ていて。すごく良いテーマだなと感動すると同時に、登場人物たちがお互いのテリトリー、パースペクティヴ/視点から一歩も踏み出すことがないまま話が終わってしまったし、かなり残酷なシーンもあった。「あなたも無事でいてね」。そんな優しくて絶望的なヒトとヒトとの距離。同世代だし、これから事あるごとに想い出すかもしれない、この映画のことを。

なんて相変わらず、失礼でしかない。

でも女性って本当にすごい: 地球環境問題、対人関係環境問題(笑)について考えてくれる(🙇🏼‍♂️)、女性×男性と女性×女性についても(知り合いの多さ(?))実践者だし(🙇🏿‍♂️)、僕は最近ずっと考えているんです、「妻」とか「嫁」とか「家内」とか「奥さん」とかぜーんぶ 男社会の日本が生み出した言葉なんじゃないの?って。この中からどの呼び方がいいかな?って考えて、じゃあ「妻」かな!って思っても、「人妻」って最悪な熟語があるでしょ💧もうぅなんか、「人(の)妻」って女性が誰かの所有物になってるみたいで、最悪なんです。もうさぁ、「パートナー」って呼び合う関係性が正解なんじゃないの?!なんて自分も負けじと頑張って考えてみました(🙇🏻‍♂️)。

とにかくね、社会・文化・伝統・慣習から「何か」をきっかけにそれらを破壊する存在が、「女性」という存在なのではないか❓という。その「何か」とは、例えば「愛」とかね。

やっぱり相変わらずの、失礼者で。

社会が 女性のモノじゃないのならば、女性は常に越境する者として そこに存在(いる)んです。なんて、んなことあるかい!まー当たってんじゃない?色んな意見聴きたいなあ。自分のこととしても考えているので。更に自分(男性)に引き寄せて考えてみると、自分は割と、反社会的な存在(!)なので、…女性…な…のかな…ぁ、と考えたりします。日本社会 ≒ 男性社会から「ドロップ・アウト」してきているので。

だから逆もまた然り。
この国においては、だよ、
社会に出て稼いでくるのが「the 男性」で、自分自身を生きて身の回りを素敵にするのが「the 女性」なのかな、って。
そういうところも少しずつ変わっていけば良いなと思う。

ゆっくりと変わっていけば良いな、と言うと
Cyril Dion, Mélanie Laurentの『Tomorrow』(2015)です。


> > > > https://variety.com/2017/film/reviews/tomorrow-review-demain-1202392425/ (DeepL翻訳↓以下🥳🧐)

Jessica Kiang April 21, 2017 5:28pm

1年で何が変わるのか 2015年後半、グローバル化した世界が直面している複雑で、相互に関連した、そして潜在的に終末的な問題を描いた、メラニー・ロランとシリル・ディオンの爽やかで逆説的に明るいドキュメンタリーがフランスで公開されました。教育的で、大陸を飛び回るような調査は驚きのヒットを記録し、100万人以上の観客を集め、2016年セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、その実用的で刺激的で、シンク-グローバル-アクト-ローカルな解決策を実践することにコミットする市民の集まりの運動の焦点となっています。

約16ヶ月間、非常に分裂的で論争の多いアメリカの選挙が行われたが、その2日後にはアメリカでも公開され、その2日前には、世界のリーダーたちの中で唯一、ドナルド・トランプ氏のアメリカでの勝利を祝った極右の大統領候補を擁するフランスが投票に行くことになっている。この映画が現在に流れ込む政治的な状況は、激変的に緊急性の高い問題であるにもかかわらず、優先順位を下げているように見えてしまう。

この映画は、ロランとディオンがネイチャー誌で、現在の人口増加、資源消費、環境破壊のペースでは、今世紀末までに人類は絶滅レベルの危機に瀕している可能性があるという科学的研究に出会ったことがきっかけで制作されました。しかしながら、その考えは確かに胸を打つものではある一方、2100年というのは、来週の終わりに間に合うのかどうか疑問に思っている人には、とても贅沢な考えだと思います。

当初、『Tomorrow』は、意図的ではあるが効果的ではない映画ではないかという疑念を払拭することはほとんどできない。 アメリカの観客のために吹き替えられたばかりのローランの魅力的なアクセントの英語は、彼女と彼女の有名な映画監督の友人たちが、レストランでフレンチに熱く語り合う姿を映しながら、「活動家でもグリーンフリークでもなかったが、何かをしなければならないと感じていた」と語っている。ビーチや空港のコンコース、泥沼の原っぱなどを行進するアビーロード風の映像に合わせて、ツイー〔いやにすました〕なライフスタイル・ポップスが流れています。 It’s all a bit〔ちょっと話が出来すぎ、又は、まったく些細なんだけど〕"世界を救いながらインスタ映えする方法"なのだ。

しかし、Snapchatのフィルターや手描きのフォントを使って、本格的なヒップスター主義から遠ざかっているように感じることもある映画作りのかわいらしさを克服しているのは、監督たちの真摯な姿勢 (ロランは、彼女の過去の物語監督作品である『The Adopted』、特に2014年の優れた『Breathe』にも、純粋さの素敵な品質をもたらしています) なのかもしれません。あるいは、冒頭の農業とエネルギーについての章でやや期待された後に、この映画がその役割を拡大していく様子が、鋭くて驚くほど有益なものである。『Tomorrow』が知的で地理的な飛躍を遂げ、マクロ経済、政治、社会的要因を明るい目で見て、親しみやすい軌道に引き込むようになったとき、それはシニシズムが称賛に変わり、称賛がインスピレーションに変わるときである。

後半の3つの章 ー経済、民主主義、教育ー は、まさに『Tomorrow』が飛び立つ場所である。 専門家の巧みな話術と、企業、地域社会、プロジェクトのストーリーを織り交ぜながら、目の前の問題に対する潜在的な解決策を説明し、草の根の活動と市民参加の希望に満ちた描写を展開していく。その好奇心は、トマトの下にバジルを栽培して都会の農場のスペースを節約する方法など、非常に微細で具体的なものから、「お金はどこから来るのか」というような極めて一般的で基本的なものまで、多岐にわたります。 (答えはあなたを驚かせるかもしれません!) どんな問題も大きすぎるものではありません。 牛を神聖視しようっていうのでもない(例えば、工業農業の生産性の高さは嘘だと暴露されている)。 そして、ロランとディオンが消化しやすい概念に分解する方法を見つけるには、因果関係が複雑すぎることはない。

マイケル・ムーア監督の『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を、より明るく、より悪口の少ないバージョンにしたように、解決策に焦点を当てたこのドキュメンタリーでは、フィンランドの公立学校のモデル校、サンフランシスコの都市全体での堆肥化プロジェクト、独自の貨幣を印刷するイギリスの町、地元の民主主義的なプロセスが不正なカースト制度に反対する連帯につながったインドの村、株主に支払うのではなく利益を再投資するリールの封筒工場、コペンハーゲンの自転車計画、アイスランドの政治的断絶への先駆的な対応などが取り上げられている。これらの物語に共通点があるとすれば、一般的な「できる」という態度を除けば、それぞれの物語には、国の政府から小さなコミュニティや自治体への権力と富の移譲、そして多国籍企業、銀行、産業界から地元企業への権力と富の移譲が表れているということである。

この種の擁護映画はいつものように、改心した人たちにしか説教しない危険性がある。 だからこそ、この映画の制作者たちのアプローチはとてもスマートなのかもしれません。『Tomorrow』は、この世界が終わりを迎えようとしていることを私たちに納得させようとしている時間を少しも無駄にしていません。それを既知の事実として受け止め、それを阻止するために小さくても評価できる方法で戦っている人々にスポットを当てている。 ほとんど無意識のうちに、この作品は、どのようにして人類が生き残るべきかということだけではなく、人類が生き残るべきであるかなり良い理由を体現しています。だってこんな人たちが出てくるのだ、普通の人たちですよ。かつてはこういう場でとても理想化されていたような。ってことは2017年以降の明日は、ちっとも暗くないのでは。(以上↑DeepL翻訳🤓🙏)


アメリカ映画ではないけれど、オプティミスティック/楽観的でいて 映画のマジックに満ち溢れ それぞれの分野の「マスター」たちとの「対話」 = 話を聴いて、音楽と映像で、こちらの気持ちを伝えること を何度も何度も繰り返して魅せる。

きっと誰もが "無意識にやっている" 最も優れた表現活動を、やっと 誰かが 映画にした。今回はMélanie Laurent, Cyril Dionだっただけの話。

という前提を踏まえて、彼女らが素晴らしかったのは、気持ちを伝える時に、音楽、映像、The Beatlesの『Abbey Road』(1969)を完璧に使いこなした事だ。それぞれのアートフォームを効果的に使いこなす。彼女らもまた「マスター」なのだ。

過去の技術を現代的な解釈によって使い直すこと。

結局言いたいことはそれなのだが、そこが自分にとってはとてもフレッシュなアイデアだった。

そして

始めに「アイデア」は人間が何かをはじめる際に共有していくもので、「アイデア」は言葉になったり、手紙になったり、音楽になったり、映画になったり、している。

我々は「アイデア」をキャッチボールしている。


でも
終末時計* によると人類滅亡まで残り100秒だという。

* 日本への原子爆弾投下から2年後、冷戦時代初期の1947年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists) の表紙絵として誕生した。(Wikipedia)

世界人類の滅亡の時に訪れるのは、ゴジラかもしれないし、Thanosのスナップかもしれないし、The Night Kingかもしれない。どれも勘弁だ。だけれど実際はそんな事は起こらない。

「問題は行動に移さない人間だ。
何かを失ったり奪われると考えてしまう」
ーーRob Hopkins, Transition Network, Totnes, U.K.

ここで一句。ピントずれ 行動のヒント 失う

ここまで書き尽くしてやっぱり大事なのは行動なのだと感じる。think-global-act-local なのだ。行動。行動。行動。時にはideasも共有しないといけない。知の共有…ん?…ですよ…ん?すみません……??

🕛


🐾
え?
☄️
遂に…
🌪
スィ…スィンク-グローバル…アクト うわぁぁ💨💨
🌫🌫🌫
ゴジラだ!!!!
Thanosだ!!!!
The Night Kingだ!!!!

うわー!!!
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