寝木裕和

怒りの日の寝木裕和のレビュー・感想・評価

怒りの日(1943年製作の映画)
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カール・テオドア・ドライヤー・セレクション Vol.2、にて。

ドライヤーの作品は、例えば一つの確固たる正論で悪なる考えを正す… みたいな勧善懲悪的ストーリーとは真逆のような深淵さを、常に観るものに感じさせる。

それは、もしかしたら彼の生い立ちと、その後に知る自分を産んでくれた実母の凄惨な最期に因るところが大きいのかも知れない。

そしてこの『怒りの日』からは最もそのことを感じさせるのだ。

実際に中世ヨーロッパではこの作品で描かれる「魔女狩り」が横行していたのは周知のこと。ではそんな「魔女狩り」はなぜ行われるようになったのだろう。

人間社会の中で、強き者は弱き者を支配しようとするものであるし、また未知なるものに対しては恐怖心から力で抑えこもうとするのを目にすることは珍しくない。

長い歴史の中で、女性が自由にその人らしく、その人自身の意思で生きていくことは、時に男性優位な社会では脅威であり忌み嫌うべきものだった。

この作品の、牧師アプサロンの若き後妻・アンネはまさに脅威だったのだろう。

彼女が牧師とその息子を天秤にかける魔性の女?
いやいや、青春時代に誰しもが体験する、恋を謳歌したり、愛し合うことの喜びを彼女から奪ったものはなんなのだろうか?
作中、そのことをうっすらと仄めかす。
彼女の母もまた、魔女裁判にかけられ、牧師はアンネを見初めたがゆえに母を庇う決断をしたのだと。

ドライヤーがこの作品の中で告発しようとした、女性への社会による不条理な足枷は現代でも少なからず存在していることが、空想サスペンスの域を超えて、恐ろしく思う。

さらにそれは全ての無罪であるにも関わらず強者によって自由を奪われた者への足枷を示唆しているとも読み解けるわけで、テオドアC.ドライヤー監督の多層的なストーリーテリングの緻密さには甚だ驚かされる。
寝木裕和

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