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気のいい女たちのYのレビュー・感想・評価

気のいい女たち(1960年製作の映画)
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ラストの女性は誰なのか。今の僕の判断としては、あれは誰というわけではなく、この映画で描かれた、またはこの現実世界を生きる女性たち一般を現しているのではないか、と判断した。

ストーカーの愛ではない感情とは何か。単純に殺意といったものなのか、しかしそうであるなら、ターゲットを彼女に絞る動機がない。やはり、彼女に対しての好意は持ちながら、それと同時に彼が抱くサディズム的な倒錯からあのような行動に至ったのではないだろうか。
虎に吠えられ怯える彼女を見た時の興奮している表情は、単にサディズムと捉えて良いのか、それともまた別の要素があるのだろうか。

食べられる肉や魚、檻の中に囚われる虎。当時の女性たち、もしかしたら現代も変わらず、男性社会を生きる女性たちはそれらと大差ない存在なのかもしれない。
男性性の醜悪な部分を身をもって体現するあの2人は、この世界は、自分を主体にすることはあっても、まさか客体にする場面などあるはずがないと思って生きていることだろう。
映画を「見ている」我々が、まさかスクリーンの彼ら彼女らに「見られる」ことなどあるはずがないと思っていたのと同じように。

こうしたラストの逆転現象は、男性社会で苦しみ、もがきながら生きるすべての女性たちに励ましを与えることだろう。しかし忘れてはならないのは、彼女たちもまた、囚われの虎を鑑賞する「見る」者であるのだということである。
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