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黄金の棺のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

黄金の棺(1966年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

南北戦争が北軍の勝利に終わった頃、元南軍兵士のジョナスと彼の息子たちは、南軍を建て直す資金を得るため、北軍輸送部隊を襲撃し大金を強奪する。彼らは、その金を荷馬車に積んだ棺の中に隠し、未亡人役に雇った娼婦を連れて、亡き夫の埋葬に向かう一行を装い逃亡するが…。

これは思わぬ拾い物。
オーソン・ウェルズ作品の常連である名優ジョセフ・コットン主演。
音楽はマエストロ、エンニオ・モリコーネ。
そしてマカロニ・ウエスタンの名匠、セルジオ・コルブッチが監督。
この3人の組み合わせなのに、聞いたことないなと思っていたら、どうやら日本では公開されなかったビデオスルー作品らしい。
ハリウッドスターがイタリアに出稼ぎしていた時代のマカロニ・ウエスタンの佳作である。

アランという名の戦死した人物の遺体を運ぶという名目で棺の中に紙幣を隠し、郷里へ向かうジョナス一行。
基本的に物語は「金を奪った悪党の逃避行」の旅路である。
しかし、貞淑な未亡人役なのにアルコール中毒の娼婦は演技もせず、検問でバレそうになりヒヤヒヤもの。
オマケに隙を見てジョナスの馬車を奪おうとした娼婦は、次男ジェフによって殺される。
冒頭のこの殺人が結構、残酷。
女性を殴り倒し、血塗れで首を絞められた後、ナイフで胸を刺される。
しかも殺した男は悪びれない。
この辺の女性蔑視の描写が日本公開を見送られた理由だろう。

未亡人役がいなくなり困ったジョナスは、町で見つけた賭けでイカサマがバレても動じない肝の座ったクレアという女を代役に充て、先を急ぐ。
しかし一行の行く手には、次から次へと起こる想定外の事態が待ち構えていた。

実はジョナスはアランの名前は墓石から適当に見つけて来たのだが、当人はかなり有名な軍人で、アランと知り合いだったという人物と頻繁に出くわす。
ぜひ教会で弔いたいと願う神父や、世話になったから家に寄ってくれという盲目の農夫らに囲まれ、いつ棺が開けられるかとヒヤヒヤ。

その上、三男ベンが公私混同して未亡人の役を務めるクレアと恋仲になったため、クレアは増長。
「夫も報われるでしょう」と人々の願いを聞き入れ、旅はなかなか進まない。

メキシコの盗賊に襲われてジョナスが負傷するが、一行は北軍に助けられる。アランはそもそも北軍の軍人で、旅を嫌うクレアの意向もあって(と言うよりも悪事を止めさせるため)遺体は北軍の砦に埋められる。

息子達に責められたジョナスは、自分のミスを認めた上で三人の息子に棺を取り戻して来るように命じる。
三人は夜陰に紛れて棺を取り戻し、一行は旅を再開するが、一晩限りという約束で泊めた乞食に馬を殺され、旅が出来ない状態に陥ってしまう。
一行は欲をかいた乞食の隙を狙って撃退する。
ジョナスは次男ジェフに乞食が言っていたインディアンの村で馬を買って来るように命じるが、ジェフは馬を買うどころか村で酋長の娘を強姦し、罪人として追われて戻って来る。

身柄を引き渡すかどうかで揉めた兄弟は撃ち合って次男ジェフと長男ナットは死亡、止めに入ったベンも負傷する。

負傷していたジョナスはなおも旅を続けようとするが、棺を倒した時に中から飛び出したのは彼らを襲って北軍に処刑された盗賊の死体だった。
息子達が棺を取り戻した時、誤って別の棺を持ち帰ったのだ。
ベンとクレアが見守る中、ジョナスは郷里へ向かって流れる川に身を投げるようにして息絶える。

結果的に、悪党家族による「骨折り損のくたびれもうけ」とも言うべき自滅の物語だ。
正直なところ因果応報なのだが、リーダーの父親ジョナス役を名優ジョセフ・コットンが何事にも動じないクールさで演じているものだから、「もしかして逃げおおせるんじゃないか?」と思ってしまう。

罪悪感なく女性を犯し、殺す次男ジェフが特に非道。
長男ナットも自分たちが偽物だとバレてしまうアラン夫妻の写真を持つ農夫を密かに殺し、兄弟でありながら次男をインディアンに売ろうとするなかなかの悪党。
特に大きな悪事を働かず、クレアの窮地を救う三男ベンは腹ちがいの弟らしいが、こうなると母親の遺伝子に問題があったのではないか?

ジョナスもベンだけは贔屓しており、彼が「真っ当に生きるために金が必要だ」と奮闘するし、父親として他の二人の息子も決して見捨てない。
必要とあれば鉄拳制裁を加えて威厳を保ち、息子たちを引っ張る寡黙で頑固な「古風なオヤジ」としてのリーダーシップを見せるのだ。
(今どきの人の目には人殺しをした上、DVまでするクソオヤジに見えるかもしれないが)
ジョナスは客観的に見れば悪党なのだが、家族が生き残るためなら綺麗事など言ってられない、清濁剣呑の頼り甲斐のある父親像に見える。

時代設定も南北戦争の直後。
戦後の混乱に乗じて逞しく生きる人間だと思えば、日本人にもジョナスの人間性は伝わるだろう。
もしかしたら戦争がジョナスと息子たちの倫理観を壊したのかもしれない。

そんな同情してしまう悪党ジョナスが見せるラストの死に様が悲しい。
なにせゴールである故郷の村を川一つ隔てた目の前にして全てを失い、力尽きて死ぬ。
今までの苦労は何だったのか?という虚しさである。
エンニオ・モリコーネの物悲しい音楽もあって、「俺たちに明日はない」以前の1966年製作にも関わらず、そのジョナスの死はアメリカン・ドリームを掴み損ねたアメリカン・ニューシネマの美しい敗者の死に見えてしまう。
哀しき悪党、そして哀しきオヤジの物語である。
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