このレビューはネタバレを含みます
映画としてはめちゃめちゃよくまとまってる!一本の作品として観るには、演出も割といいし悪くないと思う。
ジャック・ニコルソンももうまさに怪演!って感じだし。
ただ、このティム・バートン版の一番の特徴って、あるいは「一本の映画としてまとまっている」理由っていうのは、
「ジョーカーはバットマンのせいで顔が変わってジョーカーになった」
「バットマンは昔ジョーカーに親を殺されたのがきっかけでバットマンになった」
という風に、最初から最後までお互い因縁があるってこと。
なんだけど、
それが本当にバットマンとジョーカーの関係性とか、ひいては「バットマン」という作品の良さ、ヒーローの良さを全部殺しちゃってるように感じてしまった。
というのも、バットマンって、親を殺した奴に復讐!みたいな次元を乗り越えてるからこそかっこいいってところあって、
「親を殺したのは特に黒幕とかもいないチンピラで、しかももうそいつも死んでる」っていう状態で、なんの理由もなく正義の味方をやるっていうのが、やっぱり「無償の正義」っていうかっこよさ。
なにか理由や目的があって人助けをするっていうのは、もちろん人助けをしてる時点で素晴らしいんだけど、それはやっぱり「ヒーロー」ではない。
じゃあ逆に、ジョーカーは本来どうあるべきなのかっていうと、これも同じで、「無償の悪」じゃなきゃいけないんですよ。
今作のジョーカーはバットマンに復讐する理由があってやってるわけだけど、そうじゃなく、ジョーカーもまた理由や目的なく悪事を働くっていうキャラクターだからカリスマ性があるんだよね。「かっこいい」と思える。
で、じゃあなんで何の因縁もない2人が生涯のライバルにまでなるかっていうと、
これはそれこそ、お互いが「理由や目的なく」という点で似た者同士であることを意識してるから。
一歩間違えばお互いの立場が逆だったかもしれない、とまで思ってるかは知らないけど、表裏一体なのは間違いない。
正義にしろ悪にしろ意地だけでやってるあたり2人とも異常者だっていうのも分かってる。ただの因縁とかじゃなく、そういう精神的に深いとこで絆ができてる。
でしかも、バットマンってのは街に悪人がいないと成立しない存在だし、ジョーカーもバットマンみたいなのがいないと張り合いがなくて楽しめないから、
どちらか片方では成立できないってお互い思ってる節もある…
…
といった!良さが!チャチな「因縁」のせいで全部失われている!!!
「ダークナイト」を観ましょう。