Ricola

13回の新月のある年にのRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

13回の新月のある年に(1978年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

本当の孤独とは、ひとりきりでいる以上に、苦しいときに友人や知り合いがいても自分の心の内を明かせなかったり、逆に踏み込んでもらえないときに感じるものかもしれない。


体は男性で心が女性のエルヴィラは、大好きな恋人との別れを機に自分の人生を振り返りながら、彼女と関わりのあった人たちと再会を果たしていく。
エルヴィラの繊細な心の揺れが、彼女の表情や言動のみならず、画面全体を占めるような演出で示されている。

例えば鏡。鏡に映るエルヴィラを、エルヴィラ自身はもちろん、我々も彼女を改めて見つめることになる。
クリストフに無理やり鏡の自分自身と目を合わせさせられたり、ベッドの上で果てたエルヴィラが映ったり、身支度をするために鏡の中の自分を見つめたり、街中で颯爽と歩くエルヴィラの姿がお店の窓に映ったり…。エルヴィラの苦悩や孤独が、鏡を通すことで、つまり媒介させることで、むしろ痛いほど突き刺さってくるのだ。

エルヴィラが自ら心の内を垣間見せることもある。
かつて働いていた精肉工場を訪れたエルヴィラとイレーネが映るなか、誰に対して語るというわけでもなく、精肉工場に来た経緯やイレーネとの出会い、元恋人クリストフとの出会いと別れまでのストーリーが、エルヴィラのボイスオーバーで語られる。
これは、エルヴィラが幼少期を過ごした修道院で尼僧がエルヴィラの過去を話してくれる際もそうである。
「自分で人生を台無しにした」
「人の作った秩序に台無しにされたのよ」
エルヴィラが、今までの人生でどれほど生きづらかったのかがわかる。

そして、光の点滅と暗闇においてもエルヴィラの追い詰められている心境が表されていると考えられる。
ゲームセンターのうるさい明かりの点滅に入り込んでみたり、階段を降りていく男たちが去った後に次々に押し寄せる影が、速いため明かりがチカチカ光るように見えるなかひとりで佇んでいたり、照明がゆっくり点滅を繰り返す赤い部屋で自殺を図る男と話をしたり…。
エルヴィラがどんどん闇へと沈みいくなか、彼女の前を、彼女の外を、光は過ぎ去っていく。

エルヴィラは愛を求めて彷徨い歩く。
誰も彼女のSOSに気づかなかった。というよりも、誰も彼女を見ようとも向き合おうともしなかったのだ。
彼女の孤独を、彼の苦しみを背負うのはあまりにも苦しくて辛いから。
Ricola

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