ヤスマサ

ジョー、満月の島へ行くのヤスマサのレビュー・感想・評価

ジョー、満月の島へ行く(1990年製作の映画)
3.0
生贄になるという命を捨てる旅に出た男が、最愛の人と出会うファンタジー・ロマンチック・コメディ。
余命半年の宣告を受けたジョー・バンクス(トム・ハンクス)は、直ぐに荒んだ職場を辞めると、これからどうしようと思案しているところに、突然現れた大企業の社長グレイナモア(ロイド・ブリッジス)から、火山活動を鎮める生贄になって欲しいという依頼があり、引き受けることにした。

ストーリーは分かりやすい三部構成で出来ている。
舞台はニューヨーク、L.A.、南太平洋と3つに分かれ、それぞれの場所で現れる女性を、メグ・ライアン一人で演じている。
ジョーの進む道は、自由と開放、生きる喜びを得ていく道程であり、メグ・ライアンはその過程での象徴なのだ。

ジョーにとってニューヨークは、絶対的な従属関係の抑圧された「死」の社会であり、ディー・ディー(メグ・ライアン)は、抜け出したいと思いながら踏み出せないという象徴だ。
ジョーは、きっかけはなんであれ、それを打開した時から人生を前向きに捉え、「生」を感じ始める。
そこに資本家が現れ、生贄になるという足枷があるものの、お金を得て自由を得るが、それは本当の自由、人生の目的ではない。
L.A.でのアンジェリカ(メグ・ライアン)は、自由に生きているようで、父親である資本家の庇護の下にあることを吐露する。
虚飾の自由、偽りの「生」の象徴だ。
南太平洋でのジョーは。苦難に直面するが、自分で運命を決められる真の自由、生きる喜びを得たように見える。
水先案内人のパトリシア(メグ・ライアン)は、自由に航海する存在で、真の自由と開放の象徴だ。

通してシンボライズされたであろう内容に、理解が追いつかない所がある。
結末は少々軽めで、これは何だったのかなァ…、といった感じも否めない。
が、製作者陣を見ると、きっと深い意味のある作品なのだろうと思ってしまう映画。
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