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悪い子バビー/アブノーマルのnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.4
 外の世界は汚染されていると言いながら、自分はガスマスクで買い物に出掛けて行く母親の姿はやけに気味悪い。外の世界も知らぬまま、35年も不潔な地下室に閉じ込められ、詰られ叩かれ、夜はその母親と近親相姦までするバビー(ニコラス・ホープ)の姿は35年前に確かに生を受けながらも、いまだに母親(クレア・ベニート)の子宮の中に押し込められている。母が言うことだけを盲目的に信じ、ゴ〇ブリや猫とまるで友人であるかのように戯れるだけの言葉が話せない35歳の人生がある日、母親以外の別の人間を触媒として大きく流転する。母親は子供を永遠に子供として見つめながら、夜は旦那のように利用する辺りが極めて倒錯的だが、そのいなくなった牧師の旦那が皮肉にも帰還することで、家族の中でのバビーの役割が静かにだが克明に変化して行く。バビーには盲目的で狂信的で倒錯的な狂った母性愛も、家父長制時代のような父性愛も必要がない。むしろ幽閉されたまま人生のおよそ半分を過ごしてしまった彼の人生への神の采配がここには明確に提示されているのだが今日、母の子宮から突如雑菌だらけの世界に足を踏み入れたバビーには様々な禍が襲い掛かる。夢遊病者たちの哀しき彷徨は極めてカフカ的で、残酷でいて、ある種の禍々しさの中に彼を閉じ込める。

 30年前のヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した作品であり、『アブノーマル』というタイトルで一度はVHS化された作品のようだが、自分は今の今まで今作を知らなかった。地下室の狭い世界が前段だとすれば、今作はバビーが戸外に駆け出した瞬間から加速度的にギアを上げて行く。現代的に見れば引きこもり35年おじさんのコンビニでの勇気を出した買い物と言えば想像しやすいが、教育を受けていないバビーが突然、文化や他人に触れることの畏れ、純真無垢な感情がひたすら胸を締め付ける。社会とは自分を映し出す鏡であり、そこで浴びる言葉の洪水や時には殴打や微笑みのような肉体言語をバビーが自習して行く過程は二重三重の風刺が効いており、単なる宗教批判や文明批判には留まらない。母親の乳房を吸うことで最高の恍惚を覚えた彼は母親に代わり、母親とは違う別の女性を愛するまでが男の子の幼少期の成長のようだ。いわば労働者階級のビール大好きバンドマンたちの演奏の列に交わり、憎しみの言葉を自習し、吐き出すことでバビーは全ての呪いから赦されて行く。どこに居ても誰と居ても、猫とも幸福な関係を結べないボロボロな男が最期に辿り着いた約束の場所では、神も仏も全てが雑菌だらけの世界を嘲笑う。穢れなき世界を生き抜いた乳飲み子の歌は奇跡のような掃きだめの歌と捨て鉢のような夢想のようなファミリー・トゥリーを織り成す。30年前の世界線がいまようやく時代に追いついた奇跡のような怒涛の傑作で、ウルリケ・オッティンガーとメーサーロシュ・マールタに続く2023年最大級の大発見である。
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