stanleyk2001

フライド・グリーン・トマトのstanleyk2001のレビュー・感想・評価

3.3
『フライド・グリーン・トマト』(Fried Green Tomatoes)1991

「ハートは切り裂かれても鼓動し続けるものね」

原作小説の題名は「Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe」「停車場カフェのフライド・グリーン・トマト」

鉄道の停車場側にあるカフェの廃屋から始まる物語。

廃屋を訪れたキャシー・ベイツはかつてカフェを経営していた二人の女性の物語を老人ホームの老女ジェシカ・タンディから聞く。

かつて繁盛していた飲食店を回想する物語なので「雨のニューオーリンズ」を思い出した。

「雨のニューオーリンズ」の原作はテネシー・ウィリアムズの戯曲。二人の少女がホテルの廃屋でホテルが繁盛していた頃を物語るだけ。フランシス・フォード・コッポラは少女が語る場面を具体的に映像化した。語り手の少女は映画のラストに再び少し現れるだけ。

『フライド・グリーン・トマト』は現代の語り手の場面がかなり分量が多い。タンディは、アカデミー助演賞にノミネートされる名演を見せたのだがはっきり言ってこのベイツとタンディの現代部分はもっと刈り込むかバッサリカットしてもよかった。

回想部分は波瀾万丈で切ないシリアスなストーリーだが語り手場面は緩いコメディタッチ。泣けばいいのか笑えばいいのか受け止めに困る。

原作は女性の同性愛の物語だ。映像化当時は同性愛を強く打ち出さず「シスターフッド」の物語にしている。

人種差別が根強いアラバマで女性二人が人種も貧富の差もなく受け入れるカフェを開く。

だがDV元夫が無理矢理パートナーである女性を連れ戻そうとする。しかしDV男は乗って来たトラックを残して姿を消す。彼は殺されたのか?、、、

回想部分だけで十分面白かった。でもなぜこんな中途半端で緩い映画になってしまったのか?

原作者が脚本に加わった為原作をバッサリカットできなかった。

監督がプロデュースを兼ねたのでバッサリカットする人間がいなかった。

キューブリック版『シャイニング』に不満を持ったスティーブン・キングが自ら映画化した『シャイニング』が冗漫になったのと同じだね。
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