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映画 鈴木先生のodyssのレビュー・感想・評価

映画 鈴木先生(2012年製作の映画)
4.5
【理想的な教師像、ではなくて】

学園ものの映画、特に教師に焦点を当てた映画はわりに多く作られますが、本当にいいなあと思える場合はそう多くありません。理想的な教師だとか、教師と生徒との理想的な関係を描きたいという願望は誰もが持っているけれど、いざ作ってみると嘘くさかったり、或る傾向を持つ生徒にはいい教師であってもそれ以外の生徒にはイマイチであったりするからです。教師も人間である以上100%の生徒に好かれるというのは不可能です。仮にそんな先生がいたら超人でしょう。

それと、学校というのは人間にとって通過地点に過ぎないのであって、そこで人生が完結するわけではない。学校を出たあとのほうがはるかに大切なのです。にもかかわらず多くの人間が学校に理想を求めてしまうのは学校が通過地点というにはあまりに過大なものを背負わされているからです。

ということはつまり、教師も過大なものを背負わされているわけで、我々はつい学校や教師に必要以上の何かを求めてしまいがちなのです。最近教師のノイローゼや中途退職者が増えているのも、超人でないと解決できないような難題が教師に課される場合が増えているからでしょう。現実と理想のギャップは、拡大傾向にあるのではないでしょうか。

この映画『鈴木先生』はその辺の現代的な事情をよくふまえて作られており、教師ものには稀な傑作に仕上がっています。

この映画の優れているところは、中学を舞台にしながら、そこで人生が終わるわけではないという事情をも含めて描いているところです。中学を卒業してもその先の人生は長い。在校当時ツッパリだった生徒が別の教師を訪ねてきて、鈴木先生を揶揄するシーンがありますが、これは明らかに一時期流行した熱血教師ものへの皮肉な暗示でしょう。熱血教師ものでは先生は出来の悪い生徒ほどかわいがるという設定になりがちだからです。

しかし常識的に考えれば出来の悪い生徒ほど先生に手間と時間を取らせるのですから、そういう生徒にかかり切りになったら他の多数の生徒は放置状態になるはず。そもそも、よい先生に出会わないとその後の人生に支障を来すというのは教師に甘えているのであって、本当にツッパった生徒なら、「オレは先公なんぞの世話にならずともちゃんと一人でやっていけるぞ」と言うはず。この映画は最後でそのあたりの事情もさりげなくオチとしてつけているところが、なかなかリアルです。

そして、教師として生徒に完璧を求めてしまうと逆に生徒を追いつめること、またそれは社会のあり方とも連動しているのだということを、この映画は観客に分からせてくれます。学校と社会の連続性を追求している点で、他の凡百の学園ものを凌駕している。

詳しいことは映画を見れば分かりますし、ネタバレはしたくないので、一番肝心な部分については省略しますけれど、とにかく「映画館に行くべし!」と言うしかない映画だと断言しておきましょう。どんなにすぐれた教師でもそうであるように、この映画も100点とは行きませんが、90点は堅い作品なのですから。
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