Nobu

つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語のNobuのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます


【純愛とストーカーのはざまで】

10本目(映画100本観るぞ企画)は
阿部寛主演の2013年の日本映画
『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』

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妻子を捨て艶(つや)という名の女と
駆け落ちした主人公の男

駆け落ち後も 様々な男たちと恋愛問題を起こすが
重病となり こん睡状態に陥る艶

艶に何度裏切られても
他の男たちより自分の方が
艶を愛していたことを確信したい主人公は

彼女が亡くなる前に
彼女と関係を持った男4人に連絡を取り
彼女の危篤を伝える

主人公やその4人の男たちに関係する
6人の女たちが その連絡により翻弄され
『自分の相手(男)』を
そして『本当の愛とは?』を見つめ直す

ラストシーンで
棺(ひつぎ)の中の艶に語りかける主人公
『お前が想いをかけた男たちは誰も来ないよ!
 お前を愛したのは俺だけだった!
 ざまあみろ!!』
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『男は元来 女々しいものだ!』
という主張を
阿部寛さんの演じる主人公の男が
素敵なくらい不様に体現していた

では
どこまでも貫き通す “純愛” と
“ストーカー” の境界はどこにあるんだろう?

映画の中でも
『ここまで愛されて 嬉しくない女はいない』
みたいな台詞があったが
1つ間違うと
“ストーカー” という汚名を着せられる

“相手を想って”
であればいいのかというと
ストーカーも きっと強く相手を想っている
独りよがりかもしれないが...

きっと 行動・行為は
それほど変わりはないのかもしれない

相手がその行為を
どう受け止めてくれているのか?

それを自分の思い込みではなく
ちゃんと見えているのか?

そこに
“純愛” と “ストーカー” の境界線
が引かれているのかもしれない

ただ最近
“ストーカー” というレッテルを恐れて
あと一歩を踏み出さず
簡単に諦めてしまう人が多くなった気がする

もちろん
簡単に手放せるものならば 手放せばいい
『どうしても』でないならば 執着する必要はない

でも
『他では代えがきかない』
『あなたじゃなきゃ駄目なんだ』
を手に入れたいならば
あと一歩だけ あと半歩だけ
歩を進める必要がある

『相手に不快感を与えていないか?』
という “懐中電灯” 1本だけを持って…

あなたに『どうしても』と思わせる大切な人と
あなたが一緒に生きていくために...

~【映画010】つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語~

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