ゆうひ

ザ・マスターのゆうひのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・マスター(2012年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

同監督作の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
に続いて視聴。
両作に共通する魅力だが、
光と影、音楽と静寂、硬派な構図によって、
地味なモチーフを味わい深く
魅せてくれるところがすごく好き。
その辺にある景色や生活を彼がどう
映画にするのかを、もっと見てみたい。

またまた内容が難しかった上、
今回は原作というのがないので、
映画の内容(と他者の考察等)から
解釈するしかないのだけど、
「ゼア・ウィル〜」が金や権力に取り憑かれた
孤独な男の苦しみを描いたのに対し
本作は酒とセックスだし、
主演のホアキン・フェニックスの怪演が……
なんていうの……見事すぎて……w
しかもテクニシャン系じゃなくて独りよがり系でw
マジで生理的に受け付けなかったので
二度と見たいとも思えなくて、つらいw

ともかく、まず思ったこと。
主人公は表情を始めわざとなのかなと思うくらい
「狂へる悪魔」のジョン・バリモアに似ている。
本作にはジキルだった頃が描かれていないが、
戦争の傷によって、酒によって、
ハイドとなった男の姿だという風に私には思えた。

ジキルは天に召される時に
すべての罪から解放されたかのように
元の姿に戻った。
もし本作の前提に「狂へる悪魔」があるとしたら
ランカスターの教えは
その解放を許さないかのような「永遠」。
今世の大部分を肯定できる者からすれば
なんら苦しい教えではないだろうけれど、
来世もその来世も今世を「想起」して
トラウマに立ち向かわねばならないとしたら。
元の姿に戻ることを許されない教えに
フレディが救いを求めきれなかったのも無理はない。

そしてランカスター自身も、
「想起」を「想像」に書き換えなければならないような、
脈々と続く永遠から解放されねばならないような
苦しみに苛まれていたのだと思った。
だけど船長は船を離れることはできない。
永遠を同じ魂で生き続けなければならない。

共鳴していたこの二人がもし来世で再会した時に
「敵」となってしまうというのは
フレディは別の存在になる道をゆく
ランカスターはこの道をゆく
つまり共鳴とは程遠い存在になるということで
フレディの希望を信じるランカスターからの
最高の祝辞だったと思う。

そして最後にペギーがフレディを突き放したことも
永遠に縛りつけることから
解放する言動だと感じたので、
根本から道を違える者として
私もある意味、一番優しいことだと思った。

そういうわけでどうしても
フレディの魂の解放の答えには死がつきまとうが
とりあえずのところ最後には、ナンパした女性と
戯れに「永遠」を探すようなことをして終わった。
簡単に割り切れるものではないし、
人はつい希望を探して生きていくものだし、
何より戦友ランカスターとの絆への信仰が
ゆらゆらと燻っているのかなという風に感じた。
私はそんなささやかなものと共にただ生きても
いいのかなと思う。これでいいと思った。

二点、気になるところ。

1. ペギーはずっと妊娠していたのに、
お腹がへこんだ後も赤ちゃんが映らない。
単に映さなかったのか?
じゃあ何のために妊婦キャラにしたの?
ペギーの懐胎と出産……
いや、懐胎とその解消は、
これはもう何かのメタファーだと思う。
輪廻が大きな要素になっているので、
永遠と解放どちらの世界に生まれ落ちるのかという
stuckした状態を表していたのかな?
上手く言葉にできないけど……。

2. 何で砂漠から箱を掘り起こしたの?
矛盾の渇きに苦しみながら何とかして
自分の中から取り出した作品っていうこと?
これが本当にわからなかった……

ちなみに私はビル(ケヴィン・J・オコナー)目当てで
本作を見るに至ったのだが、
脇役も脇役でちょっと物足りなかった。
こんな感じかーと思ってたら最後
まぁた殴られてたのでまぁ良かったw(?)
船を離れることが出来ないランカスターの苦しみを
目いっぱいこき下ろすからこうなるんだw
それにしてもめっちゃ叩かれてて可哀想だったw

フィリップ・シーモア・ホフマン
いい俳優を知った、これからが楽しみ!
と思ったらすでに亡くなっていた。
「ビッグ・リボウスキ」で既に見ていたようだが、
当時はそこまでとは思わなかったから、
本当にこれからが楽しみな俳優だった。
遺してくれたものだけでも見てみようと思う。
ゆうひ

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