YasujiOshiba

ザ・マスターのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ザ・マスター(2012年製作の映画)
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リトライのU次。23-13。ヘルメットと壁の間から覗く兵士の瞳。青い海とヤシの実のカクテル。砂のダッチワイフ。ホアキン・フェニックスの曲がった背中。フィリップ・シーモア・ホフマンの丸々としたいかがわしさ。 ローラ・ダーンよりも怖いエイミー・アダムスの美貌。若いラミ・マレックのへつらいぶり。完全にノーマークだったアンダーソン。いいじゃない。

これで『マグノリア』(1999)から『ゼア・ウィル・ビ・ブラッド』(2007)から2012年の『ザ・マスター』へと続く宗教とスピリチュアルをテーマにした三部作を見たことになる。とはいえ『マグノリア』はほとんど覚えていない。気になるからそのうち見直してみよう。

本作のランカスター・トッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、前作の「第3の啓示」教会を開いたイーライの延長上にある。同時に、その背後には2007年に亡くなったジェレミー・ブレイクがいる。ブレイクは、アンダーソンの『パンチ・ドランク・ラブ』(2002)に協力したデジタルアーティスト。その死は自殺ということになっているけど、サイエントロジー教団に脅かされていたという話もある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Blake#Death

だから、この映画に登場する「ザ・コース」とよばれる集団とその創設者のランカスター・トッドは、実在するサイエントロジー教団とその教祖ランカスター・トッド(1911-1986)を思わせずにはいられない。しかも、映画のなかでは、前世も含めた過去を思いだして問題があるところを正してゆくという、どこか霊的でスピリチュアルなカウンセリングの技法「プロセッシング」は、どう考えてもサイエントロジーにおける「ダイアネティックス」に近い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダイアネティックス

しかしながら、アンダーソンの映画は実在の教団を告発するものではない。その魅力を、いかがわしさも含めて、あの「第3の啓示」教会のように描く。第二次世界大戦後において既存の宗教や科学だけでは救われない魂にとって、それはいかがわしくもあるけれど、それゆえに超越的なスピリチュアルな救済技法だということを、教祖の依代となったフィリップ・シーモア・ホフマンが見事な演技で体現してみせてくれる。

こうしたスピリチュアルな技法は、科学からはバカにされ、既存の宗教からは異端に見えても、たとえばフレディ・クエルのようなPTSDをかかえる帰還兵にとっても、おおくの迷える人々にとっても、ある意味で純粋な陶酔、それゆえの救済を与えてくれるものだったのかもしれない。

日本のぼくらにはそれがよくわかる。多くの身近な人がオーム真理教に取り込まれたし、宗教学者と言われる知識人だって、一時的にではあれ、否定はできないと考えていたのだし、科学と名乗るスピリチュアルな宗教は、いまだに着実にその活動を続けているのだ。

だからアンダーソンは、そんなスピリチュアリズムの教祖トッド(ホフマン)と、PTSDと心の闇を抱えるフレディ・クエル(フェニックス)を出合わせる。互いに惹かれあい、それぞれに大きく異なる生き方に、互いを巻き込んでゆく二人。そのダイナミズムを、ミハイ・マライメア・Jr. の美しい映像が捉え、魅力的なジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)の音楽が後押しする。

それにしてもラストシーンが印象的だ。しかも美しく、ある意味で、幸福でもある。単純にふり出だしに戻るのだけ。同じものが繰り返されるだけ。けれど、繰り返される時、振り出しに戻るとき、そこから始まる物語は決して、それまでの物語とは同じではない。

そうなんだよね、こういう見事なラストシーンにはなかなか出会えないんだよね。じつにうれしい驚きでした。さて、次もアンダーソンかな。何をみようか。
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