Ricola

夜ごとの美女のRicolaのレビュー・感想・評価

夜ごとの美女(1952年製作の映画)
4.1
理想の世界を夢のなかで見ることができたなら…。なかなかうまくいかない現実よりも、夢の世界で生きていたいと思うのも自然だろう。
いい夢を見たら二度寝して続きを見ようとするように、彼も眠り続ける。

貧しい音楽家のクロード(ジェラール・フィリップ)は、現実でなかなかうまくいかない。夢の中でだけ、彼の理想の世界が広がっている。


窓から屋内へと入っていき、物語は始まる。
窓はプライベート空間が合法的に覗き見できるほぼ唯一の手段である。
ほぼ開けっぱなしの窓から、ロジェやシュザンヌの父などはクロードの様子をうかがう。

車やバイクのエンジン音に彼の作曲のアイデアや思索の旅、平穏さが妨げられる。
普段の生活でも近所の車屋さんから聞こえてくるエンジン音に、クロードが教えてる小学校の音楽の授業中でも外から聞こえてくるバイクの音、さらには子ども用のおもちゃの車の音にさえも、彼はイライラする。
またエンジン音や騒音の騒がしさを利用して、人物の声はこちらまで届かせないサイレント映画のような演出までもおこなう。
彼をよく思わない車屋の店主から逃げるようにと、店主の娘と従業員のロジェはクロードに手の動きや表情で訴えかける。
こういった点から、物音やエンジン音はクロードにとって現実世界を象徴するものであることがわかる。

逆に絵画から妄想を膨らませてそのまま夢の世界へと入ることから、視覚的情報が夢のなかでは強い意味を持つようである。この作品自体が、開いた窓から室内を覗いてスタートしたように、「フレーム」内への侵入から物語が始まるという流れがメタ構造化しているのだ。

視覚で夢に入り、聴覚で夢から醒める。
絵画や部屋の照明を見つめて夢へ、ピアノの音色やノック音で現実へと戻る。
だが、そのパターンも途中から変化する。彼の気持ちの変化とそれは呼応しているようだ。
物音が鳴らないのが夢の中。でも音楽や歌は夢の中でも聞こえる。
クロードは物を落としたりぶつけたりすることで音が鳴るかを試すことで、夢か現実かを確認する。この彼の行為からも、夢のなかでは物音が存在しないと察することができる。

またこの作品で特筆すべきは、クロードの友人たちの存在である。現代および現実の庶民の生活を全肯定するような明るさと団結力が、清々しく描かれる。夢に、懐古主義にどっぷり浸かってしまっているクロードを引っ張りあげてくれるのは、優しくて明るい彼らなのである。

夢に浸りすぎて現実を忘れてはならない。フィクションの世界というのは、あくまでも現実における避難所であり、そこに住むものではないのだ。
Ricola

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