わんぱく長助

空気人形のわんぱく長助のネタバレレビュー・内容・結末

空気人形(2009年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

U-NEXTに来たので再度鑑賞。やはり素晴らしい作品だった。

秀雄の主観で描かれた別作品があり、本作はそれのスピンオフであるという解釈をするとより深みが増す。登場人物の大半が主役級の魅力を持っているが為にそう見えるのかもしれない。

近年認知度が高まっているフィクトセクシャルについて考える為の入門映画とも汲み取れるが、公開当初の日本情勢、世論等を鑑みればそこまで見据える必要もないと思う。

何より、空っぽの人間が多い世の中を、人のなり損ないが切なく彷徨する物語は、遠くから見るとこんなにも美しいものなんだと驚嘆させられた。
思うに、人形が人のなり損ないであるならば、人は人形のなり損ないであるのだろう。一長一短。隣の芝生は青い。所詮、そんなものだ。

「元の人形に戻ってくれへんか?」

これは、接客業従事者として人の醜さを長年見続けてきた秀雄の口から飛び出した願望である。しかし、この後に放つ「こういうのがめんどくさいから…」なぞいう言の真意を汲み取れなかったのぞみは、鋭い絶望に陥る。そして、秀雄から離れることを決意する。このあたりが個人的にはクライマックス。

それとやはり、レンタルビデオ店に客としてやって来た秀雄とのシーンが素晴らしいと思う。常日頃から人を避けて生きる秀雄は、目前にいる人らしき存在には一切目を向けず、それが為に店員であるのぞみの正体を見抜けない。この歯がゆいひとときが、どうにも言い表せない感情を目覚めさせるのだ。

秀雄とのぞみの間には、確かに響き合うものがある。あえて言葉にするなら、寂しさや虚無感に侵食された心だろうか。
純一との出会いにより心を持ち、育て、破滅したのぞみだが、どこかで別の道に進んでいたら、秀雄との幸せな日々に溶け込めたのかもしれない。物語終盤、彼女の中に現出した理想郷において、バースデーケーキを運んで来たのが純一ではなく秀雄だったことがまさにこのあたりの分岐を示唆している。

尤も、そこに至らなかった要因としては、 彼女が先述の言葉を曲解して受け取ってしまったことだけでなく、人と離れて生きてきた秀雄の拙い言語化能力もある。
であるからには、本作を観た多くの人間は、運命の確実性に疑問を抱くきっかけを得るだろう。