紅蓮亭血飛沫

ぼくが処刑される未来の紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

ぼくが処刑される未来(2012年製作の映画)
1.4

このレビューはネタバレを含みます

未来にて犯罪を犯す事が確定している者を、犯罪を犯す前の時間軸から連行し、犯罪を未然に阻止する為に処刑する…という設定が本作の醍醐味であるわけですが、本作に至ってはその設定にボロが平気でわさわさと湧いて来る為、"本作を通して描きたいテーマにばかり気を取られ、肝心の世界観構築、設定の練りが甘い”で片付いてしまいます。

25年後の未来へと強制的に連行された主人公・幸雄。
彼はこの世界を支配する量子コンピューター・アマテラスによって"未来において何人もの人間を殺害する凶悪犯”と断定され、未来へと送られた。
その後に遺族を交えた裁判を行い、遺族からの罵詈雑言を浴びた後にTV中継で公開処刑するとの事。
何故そのような事を行うのかというと、被害者の遺族の救済(心の傷を癒す、恨み辛みをぶつける)との事。
さて、もうこの時点で疑問が生じて来るわけですが。

まず一つに、犯罪を犯す前の犯罪者(それも数十年後の自分が引き起こす犯罪の責任を取らされる)を連行してきて、それで遺族がスッキリするかという事。
犯罪者Aさんが25年後にBさんを殺すとして、AがBと知り合うのが20年後だとしましょう。
"殺害のきっかけであり、Bとの出会いでもある20年後の自分”に何らかの接触を図る、この場に連れて来るというのならまだしも、「あなたは知る由もない誰か(Bさん)を殺しましたので、誠心誠意込めて遺族に詫びて下さい」と言われても、Aとしては謝ろうにも謝れないし、そこには何の感情も湧いてきませんよね。
また、AさんがぶつけたBさんへの殺害衝動が突発的なものなのか、募るに募って爆発したものなのか、で見方も変わってきます。
後者だった場合、AさんがBさんへの不満・憤りを覚え始めた時期のAさんを連れてくればいいわけですが、本作に至っては25年後ですからね、ハチャメチャです。
被害者も加害者も同一でない贖罪の場で、「よくわからないけどとりあえずすいません」としか言い様のない、上っ面だけの謝罪しか出来ない、選択肢がない時点で遺族の何が浮かばれるというのでしょうか。

次に、過去の人間を未来に連れて来て殺してしまったら、タイムパラドックスが起こりこの世界に何らかの影響が及ぶのではないか?という点。
過去、現在、未来が交差するSFものにおいて基本中の基本といえるタイムパラドックス問題ですが、本作でも早々にその点へ言及されています。
過去から連れてきた人間を処刑しても現在(未来)は変わらず、パラレルワールドが発生してそちらの世界が変化するだけ…らしいです。

………じゃあ尚更意味なくないです???
結局は、虐殺を遺族の為という大義名分を掲げて実行しているだけ、というただの自己満足。
この公開処刑模様はTV中継され、かなりの高視聴率を記録しているらしいですが…もしかしてただそれだけの為に?
いえ、一応アマテラスが完全でない事を知っていた黒幕が、全知全能の支配者としてこの社会を支配していた野望を抱えていたわけですからそれだけではないんですけど…。

じゃあこの一連の公開処刑って大してメリットねぇじゃん!!
で終わりなんですよね、これ。
被害者遺族観点からしても胸がスッとする措置ではない(加害者は加害者でもほぼ別人でしょこれ)ですし、未来の加害者は健在且つノータッチなわけなのに、過去の加害者連れて来て罪の意識が湧くはずもないのに詫び入れさせる…ってもう何から何まで破綻してます。ガタガタです。
その光景見て悦に入ってる民衆ぐらいにしかおこぼれがないです。

とまぁ設定に関してはズタボロなわけですが、そんな本作が描いたものはというと、裁判員制度をなぞらえたような"機械に頼らず自分の意志表示をちゃんとしよう”オチです。
まぁ、そこはいいです。
ヒロインの過去とか主人公の引っ込み思案な性格故に起こった未来での悲劇だとか、そこら辺は特に言う事ないです。
現状に特に不満もなく日々をのうのうと生きていただけの主人公が、今回の奮闘を気に未来に向かって第一歩を踏み出す。
その着地点自体は全然いいぐらいです。

ですが、疑問が生じ易いのがタイムトラベルというジャンル。
未来に向かって頑張るぞ、のラストは後味いいんですけど、結局は"未来変えられなくね?”とも考えられるんですよね。
未来・過去に行ってきた人物が現代に戻り、未来・過去を変えようと奮起する作品はたくさんありますが、私の持論になりますが、この手のタイムトラベルものって"結局は全部定められた運命通りにしかならない”のではないかと。
Aさんが未来に行き、自分が壮絶な最期を遂げる未来を回避する為に、現代に戻って以降、あの未来通りとは違う選択肢、道を選ぶとします。
しかし、そもそも"未来に行って自分の最期を見て、その未来を回避する為に現代で頑張る”という道筋そのものが既に"Aさんの辿るルート”でしかなかったのだとしたら?
未来を変えようとする行動・意志そのものが、その未来に直結する正史通りのプロセスでしかなかったのだとしたら?
現に本作はアマテラスを介したタイムパラドックスに関しても"現在への影響はない”と断定されていますし、裏を返せばどんなに未来を変えようと抗っても変えられないとも取れるんですよね(アマテラス自体がポンコツなので、もっとハイスペックな時間移動システム使ったら覆るかもしれませんが)。
なので、最終的に主人公が決意したあれこれも総じてさほど意味がなく、結果的に主人公は未来でホームレスやってんじゃないか…となってしまう。
……長々と書きましたが、そんなにあれこれと小難しい事考えるぐらい本作にそこまでの魅力、地力は備わってないですからね。
考えるだけ無駄でしょう。

私自身が子どもの頃から特撮ヒーローが好きなものですから、仮面ライダーフォーゼでのダブルライダーを演じたお二人の出演作という点に惹かれ、手に取った次第です。
トレーラーを見た際は「未来で殺人を犯す主人公が無実を証明する為にあれこれ抗うけど、その逃走の果てに殺人を犯さざるを得ない展開が来てしまう。でも主人公は後悔してない」といった話に落ち着くと思いましたが…。
かなり雑な作品でした、はい。

今となっては福士蒼汰さんも吉沢亮さんも、本当に大物になっちゃいましたね。
そんな二人のまだ初々しい頃の共演作、としてはファンにとっては一見の価値アリかもしれません。
それほど絡みもないですが…。