シートン

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったかのシートンのレビュー・感想・評価

3.8
そのタイトルから連想されるものとは異なり、「博士」は中盤まで出てこないし、物語のいちばんの鍵を握っているとも言いがたい。

そうであるならば、なぜ博士がこの映画の主題として提示されているのか考える必要がある。

博士はいまだ総統ヒトラーへの崇拝と畏敬の念が抜けないナチである。しかしそのことが明らかとなるのは、ソ連の「皆殺し」装置の発動が決定的となり、「地下帝国」の建設が現実味を帯びてきてからである。すなわち、彼がナチであることをひた隠しにして望んできたことは、その「地下帝国」とその帝国間での戦争であったのだ。

すると、この冷戦の風刺を主題とするかに見える映画が提示するメッセージは、冷戦のバカバカしさ、首脳や官僚の無能さなどではなく、ファシズムの復権への痛切な危機感であるように思える。

博士が「心配するのを止めて水爆を愛するようになった」のは、水爆の開発競争と使用の応酬が、彼の切望するファシズム帝国復活への強力な切り札として機能することを悟ったがゆえなのである。
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