よか

風立ちぬのよかのネタバレレビュー・内容・結末

風立ちぬ(2013年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

風立ちぬ、ジブリ映画の中で一番好きな映画。
圧倒的に残酷。
今まで美しい嘘をつき続けてきた宮崎駿の正直な本音が天才的な技巧でたっぷり詰め込まれてて最高に好きです。
「激動の時代を生きた男女の恋愛物語」のような体を成しているけど、描かれているのは一貫して「美を追求することの残酷さ」。
一見優しく誠実な好青年のような主人公は、実際は人の心が分からない白状者。
映画の堀越二郎は他の全てを蔑ろにしながら、「美しさ」を求め奔走する。己の美しい夢の実現のために。
夢の実現の先に何があるのか、美は永遠に在らずやがて朽ちるものだと理解して尚、美しく虚飾された破滅へ突き進む。

これは恋愛物語ではないと声を大にして言えるのは、別に二郎は菜穂子のことを愛していないから。
彼は美しいものが好きなのであって、美しい菜穂子は好きだけれど、愛しているわけではない。思いやりもないから、一人山奥で闘病する恋人に、毎日こんなに楽しく頑張って飛行機作ってるよ!とか空気読めない手紙送るし。
菜穂子はそれを理解しているけども、二郎のことを愛しているから、病の身を押して命懸けで山を降りて二郎に寄りそう。離れていると忘れられるから。
二郎にとっては「美しい」菜穂子が隣にいることが重要だから、菜穂子の健康も未来もどうでもいいこと。だから病院に戻らせず平気で隣でタバコとか吸う。
菜穂子もそれを理解しているから、出かけるわけでもないのに毎日健気に化粧をして気丈に振る舞う。
あまりの扱いに妹が泣いて訴えても、二郎はこの扱いの酷さを自覚していないので「一日一日を大切に過ごしている」とか頓珍漢なこと言い出すし。

いよいよ死期を悟り、これ以上美しさを保つことが出来ないと分かると、菜穂子は一人山へと旅立つ。
最期、二郎の造った美しい飛行機が見事に飛び立ち、山へと風が吹き抜けると同時に菜穂子は死んでいく。夢で再会した際、菜穂子は二郎に「あなたは生きて」と諭し、許す。
これは結局、宮﨑駿の映画人生に対しての、自身への許しのように感じた。

二郎はピラミッドのある世界を求める側の人間なので、自分達が何不自由なく悠々と好きなことを行えることになんの違和感も持たない。
菜穂子のことは言わずもがなだし、生きづらい時代、すぐ隣で庶民が貧困に喘ぎその日暮らしをしているのを見ても、「自分は恵まれていて、好きなことができてラッキー」くらいの感じでしかなく、シベリアが何万個も買える金額を今日も飛行機に費やす。
自分の求める美しい飛行機の成れの果てが戦争と殺戮の道具だと理解して尚、それに対しても大した葛藤は抱いていない。

作品を通してあまりにも二郎が非情に描かれているのは、宮﨑駿がこの映画で「戦争」を描く気がなく、「近代化」をスポットに据えているからだと思う。
美しくも呪われた夢、飛行機。
工業化を軸とした近代化と、それに伴う戦争。
壮大な枠組みの中で視界を大きく広げるために、あえて個人の葛藤や内心に強くスポットを当てていない。
そうして視野を広げたからこそ、一見して分からず、しかし確実に、残酷な本音を巧妙に隠してちりばめられたのではと思う。

「君は、ピラミッドのある世界と、ピラミッドのない世界と、どちらが好きかね?」
ピラミッドという崇高な芸術を生み出すために数多の人間が労力になり、犠牲になり、その天才的な発想を生み出す人間を支えるべきである。
才能を持つ人間が鮮烈なまでの暴虐さで美を追い求めること。
それを他の人々が、凡人が支え、犠牲になること。
そういったことの残酷さ。
その残酷さがある故に、ピラミッド は殊更に美しく輝くのである。

こんな悪魔のような囁きを、こんなにもに美しく纏めあげる技巧が、宮崎駿が天才であるという一つの証左であるし、きっとこれが、これまでの映画人生への贖罪であり、言い訳でもあり、宮﨑駿の本音であるんだろうな、という気持ちです。
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