高橋早苗

かぐや姫の物語の高橋早苗のレビュー・感想・評価

かぐや姫の物語(2013年製作の映画)
3.6
宮崎駿氏が

生きろ。
生きねば。

なら
高畑勲氏は、そのものズバリ

いのち。



あの、小さなお人形みたいな姿から
スピードだけは数百数万倍で
寝返りを打つたび
伸びをするたび

乳をのむたび
声を上げるたび
笑うたび
目に見えて大きくなる “タケノコ”は


風に草木が揺れ
梅の花が芽吹き
鳥がさえずり
虫が飛ぶ

周りのいのちたちと 呼応するように
どんどん成長してく


監督の描きたかったシーンは これじゃないか
・・・と思わせる
いのちの芽吹き


それに比べ
都に移り住んでからの あれこれは
いとしい人の影が消えた 里山と同じく 色褪せて見える

まるで こうしていのちは
瑞々しさを失い
枯れていくのだよと
言わんばかりに

枯れた分だけ
流れるのが涙なのかと 思うほど。


里山のように 応える《いのち》がない都で
姫は 生まれ持った力と 美しさを振りまく


名付け親が 一目見て 心動かされたのは
姫の目鼻立ちよりも何よりも その輝き
だからこそ「かぐや姫」なのだろう


そして 愛されるのと同じくらい 醜悪さも振りまく
憎まれ、蔑まれもする

求婚する公達衆を
無理難題を言って 追い払った姫は
花見に興じる
やはりいのち(ここでは桜)を求めてる


ニンゲン、というより
生きもの。と呼んだ方が似合う?ってくらい
(月からやってきた存在ですからね^_^)
いのちのままに、生きるだけ?ってくらい、生きものだ。


ともかくも 姫は この世界で
翁や嫗の生きてきた年月を
一瞬みたいな 凝縮した時間で駆け抜ける
その短さだから 最後は
別れの悲しみなのね(T ^ T)



※ひとつだけ、気に入らないのは。
劇中のわらべうたとは別に、主題歌がありエンドロールに流れること。
↑もちろん、曲に罪はない


話の筋に、重要なうたがあるのに、しかも、節とことばを変えた、対をなす歌があるというのに

それとはまた別になぜ、もう一曲用意するねん!
(あの曲は、あれはあれで好きですよ、ただね)


…思い入れたっぷりの一曲を エンドロールに使ったが為に、劇中歌の存在がかすれて、話が見えにくくなってますねん!

あの、山里の子どもらが唄うわらべうたを、
あのまま子どもらの歌で、エンドロールで聴かせてくれたら
…観た人それぞれに、自分のいのちの記憶を思う機会になるのに、

立派な主題歌をあてがったお陰で
「立派な、素晴らしい作品ですね。」…で終わっちゃうのよ
↑つまり分かりにくい。
観た人がリアルさを感じにくい


この点だけは、
“監督の犯した罪と罰”やと
思うんだわ^_^
高橋早苗

高橋早苗