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愛、アムールのnetfilmsのレビュー・感想・評価

愛、アムール(2012年製作の映画)
4.3
 警察と消防がある部屋のベルを押し、中の安否を確認している。メインとなるドアは施錠の上に更にトタン板で頑丈に目張りされており、警察官はそのトタン板を蹴破り中に侵入する。真っ暗な部屋は人の気配がなく、中に立ち込める尋常ならざる異臭に警察官は顔を少し歪める。各部屋を周った後、新鮮な空気を入れるため部屋の窓を開け放つ。ベッドの上には花で敷き詰められ弔われた年老いた老女の死体があった。高い天井と大きな窓、広い間取り、部屋の真ん中に置かれたグランド・ピアノ、ヨーロッパ調の家具、壁にかけられた無数の絵画や写真、整然と置かれた本棚、オーディオ、CDとレコード、この家に住んでいる夫婦のこれまでの歴史や職業、2人の馴れ初めに至るまで、全ての背景がわかる実に生活感のある空間で老夫婦は仲良く暮らしている。ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)は、ともに音楽家の老夫婦でインテリ層として描かれる。その日、アレクサンドル(アレクサンドル・タロー)の演奏会へ赴き、夫婦は満ちたりた一夜を過ごす。だが施錠されていたはずの扉の鍵が壊されていたことが、老夫婦のその後に暗い影を落とす。

 突然、人形のように動きを止めた彼女の様子に気が動転した夫は着替えを持ってこようと衣装部屋へ足を運ぶ。その時妻の声が聞こえ、急いで居間に戻ると彼女は元通りになり、出しっ放しになった水道の蛇口を止めている。この決定的場面から、徐々に妻の老いが進み、病気は進行していく。上流階級であれば、死を迎えるための選択肢は複数ある。一番現実的なのは妻を老人ホームに入れることだろうが、どういうわけか妻は病院や老人ホームには行かない。妻にとって夫や娘と暮らしたこの家こそがかけがえのない空間であり、夫もそんな妻の気持ちを尊重し、自宅での老老介護を決断する。週に三回看護師とヘルパーと契約し、それ以外の介護は夫がしながらも、階下に住む知り合いの夫に買い物を手伝ってもらう。車椅子生活の妻を夫が支えながら、普段の生活に戻ったかのように見えた老夫婦だったが、徐々に妻の病状は進行していく。夫の負担は彼女の病気の進行により増し、精神的ストレスも増していく。一人娘のエヴァ(イザベル・ユペール)には夫のジョフや孫もいるが、ヨーロッパ各地をコンサートで回る彼女に無理もさせられない。妻はそんな夫に負担をかけまいと思うが、1人では何も出来ない妻は逆に2人を孤立させる。

 人間はいつかは必ず、彼らのように老いて死ぬ。この世に生を受けた時点から、誰一人として老いを避けて生きることは出来ない。この夫婦に起きた問題は誰にでも起こり得る問題であり、現実から目を背けることは出来ない。それにしても中盤からクライマックスにかけては直視出来ない描写が延々と続く。週3回、看護師に連れ添われオムツ交換や車椅子でのシャワーを浴びるアンヌの屈辱がどれ程のものであるかは想像に難くない。夫が介護生活に疲れ、いつしか病気の妻の頬を平手打ちする場面はハネケ映画に何度も登場する身振りだが、これ程胸に迫る場面もないだろう。芸術家でインテリの老夫婦にとって、生きることも死ぬことも尊厳にまつわる厳格な事態であり、自分たちなりの人生の閉じ方を模索する。だが老夫婦の意に反し、つらく厳しい現実が彼らの尊厳や崇高な精神すらも呑み込んでしまう。マノエル・ド・オリヴェイラの『夜顔』のような一話の鳩の侵入、シューベルトの即興曲を弾きこなす妻の幻、まるで処女作だった『セブンス・コンチネント』のような夫婦の心理的孤立、牧歌的な田舎の絵、切り落とされた白い花束。ジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァの名演に思わず涙腺が緩む。
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