ケーティー

ボクたちの交換日記のケーティーのレビュー・感想・評価

ボクたちの交換日記(2013年製作の映画)
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映画でモノローグは諸刃の剣
本作は原作を尊重しすぎるあまりそこで失敗しているが、ラストに抜群のシーン


例えば、映画でも舞台でも、ラストでいい切り口があると、全体もよく見えることがある。本作は、私にとって、そういう作品だった。後述するが、原作に忠実なあまり、日記の読み上げ=心情の説明に終始していて、エモーショナルに訴えかける部分が弱いし、せっかくの内村監督作品なのにアクション(行動)でみせる見せ場が少ないのも本作の欠陥である。しかし、ラストに抜群のアイデアがあり、そこで全てを語ってしまうのだ。アイデア自体は、ベタとも言えるが、作品や登場人物に合っていて、まさしく行動が心情を描写するシーンになっている。この映像ひとつでいいなと思ってしまう。そんなよさがある。物を探す上で、決して特別な行動ではないのだが、成功を掴んだ主人公が今改めてこの行動をすることで、心境とジャストフィットして感動を呼ぶのだ。ちなみに、この終盤シーンは原作になく、ここでこのアクションを思いついたのは、やはり内村監督ならではだと思うし、そういうアクションのアイデアが得意で才能溢れる監督なのだから、コント師(原作は漫才師)という設定も生かしつつ、もっとそういう見せ場をつくってほしかったと思ったのである。

さて、全体の構成の話をすると、先に述べた通り、よく言えば原作に忠実なのだが、日記の読み上げが続き、それが映画だと説明臭く損だと思った。ただ、ひたすら説明が続く印象にどうしてもなってしまうのである。おそらく、本作の鍵は日記の文章自体の登場を最小限に抑えることにあったはずだ。しかし、本作では、その工夫をせず、日記を全面に出しすぎて、映像を信頼することをやらなかったことが結果的に悪い結果をもたらしている。例えば、日記を読んでるときも、電車で主人公二人が微妙に距離を空けて座ってるなど、面白い絵はあるのに、ずっとつたない心情説明を(小説や舞台だとそれがナマっぽくていいのだが、映像でやられると、敢えてきつく言えば、小学生の絵日記の朗読をずっと聞いているのと変わらない)されるので、人物の心情はわかるが、観る側が本能的に心を動かされたり、感動したり、感情移入するまで至らないのだ。オードリーの若林さんと俳優の田中圭さんによる舞台版は、朗読劇さながらに日記の読み上げが続き、それがよいのだが、映像で同じことをやると、説明になってしまい損なのだということがよくわかった。

しかし、一方で、やはり原作小説や舞台にはない映像ならではの強みもあって、例えば、芸人の緊張、本番のネタシーンを映像で観る面白さ(ショーアップ)、売れない芸人として虐げられている描写のインパクト、また意外にも日常のシーンも、(本当かどうかはわからないが)芸人はこうやってバイトしたりアパートで暮らすのかな?と思わせる、知る面白さがあり、このようなところで、内容は原作や舞台と同じであっても、映像作品になると、それゆえの強みがあることがわかった。

このような映像の強みと、日記の使い方と脚本の構成の練り直しで、もっと面白くなりそうな作品なので、惜しいと感じた作品であった。

また、もう1つ惜しい思いがしたのは、小出恵介さんのよさだ。売れない芸人という役どころを実に自然にうまく演じている。正直なところ、舞台版の田中圭さんは普段の感じでやればそのまま芸人になるだろうと予想がついたが、小出恵介さんの好演は意外だった。顔は悪くないけど、売れない芸人をうまく自然に演じていて、だからこそ、切なさもある。また、語りでは、これは私の思い過ごしかもしれないが、冒頭の日記の朗読から少し内村監督を思わせる調子で読み上げるのがいい。決して派手な俳優ではないが、引退前の「愚行録」もよかったし、才能があるのに引退のようなかたちになってしまったのはもったいないなと思った。

また、ヒロインの長澤まさみさんが可愛くて、当時の年齢的にもちょうど役にマッチしている。今とは少し違う魅力があるのだが、それがいい。