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劇場版ミッフィー どうぶつえんで宝さがしのairiのレビュー・感想・評価

2.6
今回、ミッフィーの映画「劇場版 ミッフィーどうぶつえんで宝さがし(吹替版)」を観賞した。この映画は、友人であるM.K
さんからのおすすめである。ミッフィーの映画のファーストインプレッションは、「絶対おもしろい」であった。私は、期待を胸にこの映画を視聴し始めた。観賞を終え、評価としては☆2.6をつける。この映画は、教育映画と言いながら非常に子供に悪影響を及ぼすものであった。最初に、ナレーションらしき音声が入り、戦隊モノでありがちな、名前を呼ぶシーンから始まる。赤いカーテンから出てきたのはミッフィーであった。私はいつからかナレーションの声だと錯覚していた。ミッフィーは、設定上6才未満であるが、声は30代であった。ミッフィーの声が幼いという概念を壊された。ミッフィーが誕生して66年。もう彼女が6才を主張し続けるには無理があったのかもしれない。ストーリーは、ジャンルで言えばミステリー映画である。題名にもある通り、ミッフィーのパパとママがミッフィーと一緒に遊びにきたメラニンとグランティーと犬のスナッフィーと宝さがしをする様に仕向ける。動物園に訪れた際、くまの園長が「犬は動物だから中に入れないよ。」と言う。ここで矛盾が生じる。この発言をした園長、入ろうとしているミッフィーたちは動物ではないのだ。私たちが考えている動物の概念はここで大きく覆された。ミッフィーたちは犬とはぐれないことを条件に一緒に中に入ることができた。ここで、伏線が張られていたことに後に気づくことになる。動物園で宝さがしのうたを歌いながら5匹の動物を探して行く。一つ目の黄色い動物、私はキリンを思い浮かべた。しかし正解は、赤ちゃんカンガルーであった。このように、宝さがしも難易度が高いものであった。最後の1匹を探している時、冒頭でも話題にあった犬のフラッフィーが失踪した。そのタイミングで園長がきて、「犬はどこ?」と危機的状況になるが、グランティーが犬の鳴き真似をするというファインプレーでなんとかその場を切り抜けることができた。実に、直前に見た「1917 命をかけた伝令」並の緊張感であった。無事全ての宝さがしをやり遂げ、報酬を得たミッフィーたちは気球で家に帰った。この映画で一番印象に残っているのは黒人差別である。黒兎差別とも表現できるが、ミッフィーの友達のメラニンは肌が黒い。メラニンとは肌の黒色を作る色素である。肌が黒いためメラニンという名前であれば立派ないじめである。もう一つ気になったのは依存症である。宝さがしの歌の中で「宝さがしは楽しすぎてやめられない」というものがある。宝さがしという過程の先にあるのは報酬である。この報酬をもらえるということに快感を覚え、依存へとつながる。宝さがし依存症はギャンブル依存症によく似ている。これらは脳の病気であり、身体精神に影響を与える場合、治療をしていくしかない。または、これらの自助会などに参加する必要がある。ミッフィーたちは宝さがしをしながら、生命の危機に陥っていたことがわかる。これらのことからこの映画は子供向けではないと感じた。この映画は年齢制限はないが、PG12が最適であると考える。PG12指定は、12歳未満(小学生以下)の鑑賞には、成人保護者の助言や指導が適当とされる区分のことである。この映画を作ったハンス・パーク、および原作者のディック・ブルーナはサイコパスである。こんなこと書いている私がサイコパスである。ネタ
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