しゃりあ

スプリング・ブレイカーズのしゃりあのレビュー・感想・評価

スプリング・ブレイカーズ(2012年製作の映画)
4.7
洋画ベスト級、セリフ全文写経レベルに良い

フロリダ的な空気って肌感覚としては全然わからないんだけど、なんとなくWAVESとかsoundcloudのヒップホップの音楽とかを観ると、享楽的・開放的なモノがあるのかなと思う
はじめに想起したのはなぜかBROCKHAMPTONや、kevin abstractが出したpeachのPVだった
あれは西海岸だった気がするけど、"フロリダ"的なものと、日本の"田舎"は絶妙に近しい位置にある気がする

まずはギャルでビッチな彼女たちの享楽について考える必要がある

善く生きたいという信仰のフェイスと、他3人の享楽性は、差があるように見えながらも、"良さ"=楽しさという点で共通している
前半はシスターフッドの快楽の頂点であり、パリピ的・性的でありつつも、「プッシーはダメ」と男根を拒絶していて、
それは決して他者を媒介して形作られるタイプの享楽ではないことを示す

しかも、明らかにおばあちゃんはついて来れんような遊び方なのに「来年はおばあちゃんと来たい」と思うようなチグハグさに注目したい
彼女らの求めるところは、性や奔放さではなく、純粋な意味での"楽しさ"なのだ
"スプリング・ブレイク"とは日本で言えば「終わらない夏休み」とすれば分かりやすい気もする

この"純粋な楽しさ"は、向井秀徳のkimochiの「(着地点はねぇ)ずっと飛んでる気分」のような、"かけがえのない輝き"だ

しかしそれも逮捕と保釈によって、終わりの予感が訪れる
楽しい時間を終わらせたくない、または本当の幸せを求め続ける彼女たちにとっては、海の上で吐かれる男根の甘い言葉ですら、空虚に響き、素通りしていく

百合に突っ込まれるチンポ、全てを台無しにする象徴だったエイリアンくんは、初め悪や終わりとして描かれていたが、実は"百合でめちゃ泣く男"であった
彼の全てを手に入れた男の"虚しさ"は、まさにヒップホップっぽい
「なにかを見逃したかもと思うだろう」と忠告するエイリアンにとって、"スプリング・ブレイク"とは追いすがり続けるものであり、大切すぎるものだ

この「眩しさ」みたいなものを破壊するエイリアンに、2丁のサイレンサーつき拳銃で反駁した女たちの姿は、スプリング・ブレイクに追いすがるエイリアンそのものである
彼女たちに自己の姿を見出し強烈な共感を感じて「恋に落ちた」とチンポ舐めたくなる気持ちになった彼が、恍惚と拳銃をフェラチオする姿に泣く

「眩しさ」「かけがえのない輝き」を求めて、祈りのように繰り返される「スプリング・ブレイク」の単語

ギャングスタに気安く使われる「メリー スプリング・ブレイク」の言葉

既に失われたかもしれないその輝きの中で殉ずることを決め、契りのように交わされるプールでのセックス

その渇望は決して達成されない
現実(痛み)と享楽(遊び=本作ではエロと暴力)の間で、絶対に縮められない距離を埋めようと右往左往し続ける

結局どこかのタイミングでみんなは"家に帰る"し、最後のモノローグでは「美しい現実逃避」として自嘲的に嘯かれる
そしていくら貶めたとしても、輝き続ける春は、その終わりを告げる銃声とともに、永遠に反響し続けている