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終戦のエンペラーのKUBOのレビュー・感想・評価

終戦のエンペラー(2012年製作の映画)
4.5
終戦の日の今日は、公開以来久しぶりに『終戦のエンペラー』を鑑賞。改めて見て、素晴らしい作品だった。

天皇に戦争責任を負わせるべきか、否か? 天皇を処刑したいワシントンに対して、日本を円滑に統治するには天皇が必要だと考えるマッカーサー(トミー・リー・ジョーンズ)。

主人公は、このマッカーサーから「天皇に戦争責任がない証拠を探せ」と命じられたフェラーズ准将(マシュー・フォックス)。彼は天皇が無罪である証言を得るために、天皇に近かった人物から会って話を聞くことに。

巣鴨プリズンでの東條英機(根津甚八)。

近衛文麿(中村雅俊)は、戦争に対して、

“ We are both guilty.” と言う。

「我々は中国の領土を奪った。だが英国はどうです? ポルトガルは? 我々はシンガポールやマレーシアも奪った。だが英国から奪ったのです。フィリピンを奪ったのも米国からです。その米国は元々スペインから奪った。もし武力で領土を奪うことが国際犯罪なら、誰が裁きましたか? 英国やフランスやオランダや米国の指導者たちを。誰もです。日本はどこが違うでしょうか? どこもです。我々はお手本にしたに過ぎない。あなた方をね。」

『東京裁判』でのインドのパール判事と同じ考え方だ。

私は基本リベラル派だが、こういったところは「その通り」と思う。彼ら欧米人は、有色人種がそれと同じことをしたのが許せなかったのだ。

フェラーズは調べれば調べるほど思い悩む。

“ This is the nation of contradictions.”
「日本は矛盾の国だ。」
「天皇制という制度自体が謎だ。」
「天皇は戦争を止め得たのか? 望んだとしても。」

西田敏行演じる鹿島大将は言う。

「日本では何事も白黒はっきりしない。大部分はグレイだ。」

「日本人を表す2つの言葉がある。「建前」は表向きの態度。「本音」は嘘偽りのない心。日本はアジア諸国で最も西洋化されて見える。だがそれは建前、表面だ。本音は、この国の心臓の鼓動だ。2000年以上前から息づいてきた。西洋の精神性とはまるで異なる。」

木戸幸一(伊武雅刀)は、玉音放送を妨害しようとする陸軍のテロ事件について打ち明ける。天皇の言葉があったからこそ、降伏を日本人が受け入れたのだと。(『日本のいちばん長い日』)

そして、関谷貞三郎(夏八木勲)の仲介で、あの有名なマッカーサーと天皇のツーショット写真が撮られる。(『太陽』)

マッカーサーに「全ての責任は私にある。」と訴える天皇陛下の言葉は胸を打つ。

フェラーズと日本人女性とのロマンスも、愛した女の住む町が空襲で焼け野原になっている様を見て、戦争の愚かさを感じるという、単なるロマンスに留まらないところがいい。

マッカーサーの取った天皇制を残すという戦略は、天皇に責任がないというわけではなく、あくまで日本人をスムーズに統治するため、日本を共産主義にしないため、であったわけだが、結果として、足利依頼と同じく天皇を奉じて日本を統治することになったわけだ。歴史に” if “ はないが、もしこの時マッカーサーのもくろみ通りにならなかったら、今の日本は大きく違っていたに違いない。

右でも左でもない、実話に基づいた作品。アメリカ人にも見てもらいたい素晴らしい作品である。
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