ニャーすけ

セデック・バレ 第一部 太陽旗のニャーすけのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

日本統治時代の台湾にて、原住民・セデック族による日本人への武装蜂起「霧社事件」を描いた恐らく唯一の映画。

序盤30分は『アポカリプト』丸出しの微妙なアクションが延々と続き、この映画大丈夫かと不穏な気配を感じたが、セデック族が台湾総督府に武力制圧されて以降はドラマの深みがグッと増し、みるみる面白くなっていく。敵対部族の首を刈ることが伝統的なイニシエーションにも拘らず、侵略者にはそれを「野蛮」と侮辱・軽蔑され、同じセデック族の中にも日本の同化政策に同調し、日本名を名乗る者も現れる始末。ただ、この日本人警官として体制に属したセデックの若者も、彼らには彼らなりの考えや苦悩があり、部族を迫害から守るための苦渋の決断として「花岡一郎・二郎」という不名誉なペルソナを進んで受け入れたのに、それが原因でセデックの仲間たちとの軋轢が生じてしまうのがやるせない。

こういった痛ましい描写の積み重ねで、観客の日本人への憎しみがピークに達したタイミングでついに「霧社事件」が起こるのだが、これを安易な抗日映画としてのカタルシスを与えるような痛快さではなく、無力な日本人が容赦なく惨殺されていくシーンに、実際に台湾原住民の血を引く女性歌手による切ない歌声をバックに流すことで、むしろ異なる文化を持つ民族同士が憎み合い殺し合うことの悲劇性が際立つ演出になっているのが素晴らしい。
観客は日本人警官による原住民差別をずっと観せられているので、本来であればセデック族の逆襲には喝采を送りたい筈なのに、この蜂起の犠牲者には(原住民への差別意識や蔑視はあったにせよ)直接的には罪のない女性や子供も数多く含まれているので、この時点で無邪気にセデック族を称揚することは難しく、しかしそもそもの原因はやはり大日本帝国による侵略主義にあるから自業自得っちゃ自業自得だし……と一生腑に落ちることはないもやもやが心の中で堂々巡りする。しかし、歴史上の虐殺事件をエンターテインメント的解決をもって矮小化するべきでないのは明白で、この点だけをとってみても、監督のウェイ・ダーションがどれだけ真摯にこの題材に向き合っていたのかがよくわかる。

ちなみに、本作にはビビアン・スーがちょい役で出演しているが、これは彼女がセデック族に近しいタイヤル族の子孫だから。この事実を知ると、かつて彼女が日本で国民的な大スターだったことに思いを巡らせずにはいられない。
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