kuu

執行者のkuuのレビュー・感想・評価

執行者(2009年製作の映画)
4.0
『執行者』
原題The Executioner 2009年。 96分。
韓国映画。
1997年12月30日、韓国で23人の死刑囚に刑が執行。それ以降、韓国国内では死刑の執行はない(知ってる限りない)。
韓国は現在、事実上の死刑廃止国家となっている。
今作品2009年当時、死刑執行停止から10余年が経ち再び死刑執行命令が出されたら――と本作はそないな着想から生まれたフィクション映画です。
当時、韓国映画史上初めて法務部の許可が得られ開所前の刑務所(華城職業訓練矯導所)を使って撮影されたそうです。
実際の刑務官たちも出演して、収容者の扱い方について、俳優にアドバイスするなどありリアリティが追求されている。
故に、心を通わせた死刑囚への刑の執行はストップと訴える刑務官たちの苦悩が、観てる者の胸に強く迫ってくる。

※小生はキリスト教徒ではなく浅はかでイエスの理念を持ち出す記載がありますが、誤りがありましたら無知ゆえのこととお許しください。
また、個人的な見解ですし、重犯罪を肯定はするつもりは一切ありません。
気分を害されたなら重ねてお許しください。

世界では多くの人たちが、多くの悩みを抱え、迷い、苦しんでる。
今、幸せを感じていても、それは、どれだけ続くのかも分からない。
今回、コロナ禍でその事は嫌ってほど感じた。
また、実は自分自身が他の人たちの悩みの原因になっている可能性だってあんのが現実。
人類は地上に偶然生まれたのではなく、神によって創造された素晴らしく尊い存在だとイエスは説いた。
その説法はどうあれ、人智を越えたもんに違いない。
なら、世界に生きる人々は、どうしてこんなに苦しみに満ちているんやろ。
それは、この世界に生きる人々の中に罪があるからだとイエスは説く。 
仏教でも云い方をかえ同じ様なことを説いてる。
仏性はあっても、悟れる者じゃない限り人の心は濁り罪を犯し続けてると。
宗教の概念上で書くなら誰もが罪を持っている事になる。 
人々を不幸にする罪。
そうじゃないかもしれない罪。
勿論、正常な人が過失ではなく刑事事件を犯した時、倫理的にも法律的にも罪を背負う事は至極当然かと思う。
人類は、創造した何かからは離れ、自分自身が神になろうとする事が大きな罪になるんやろか。
その罰が死刑なら、それもまた、統治するものが押し付けてるエゴじゃないんかな。
神ではない一部の人達が神になって他者の命をコントロールしようとしているから色々な部分に歪みが生じてくる。
でも、罰のない罪の本当の償いってなんやろうか?
加害者が宗教に身を捧げようと、ボランティアで人を助けようと、銭を積もうが、土下座して謝罪を続けようが被害者感情は完全に加害者を赦せるやろか。
そう考えたら苦しみの原因の多くは、自身が問題なのかな。
せやのに、それを環境や他の誰かのせいにしたり、時にはそれを神のせいにしてしまうのが人類の性。
今作品を鑑賞し、そう小生は考える。
考えるけど答えが見えない。
病人は、病気であることを認めへん限り、治療をしてもらおうとは思わへんモノです。
キリスト教で云っとるんは、病人とは人類かな。
つまり、人々は己の中に罪がある事を認めて真理に従い行かなければ、根本的な問題てのは解決出来ない。
自分が大きな十字架を背負っている事を認識する生き方。
かなり抹香臭くなってきた😸
己で償う事もできないほどに大きな罪を持っているという事を認めざる得ないのかな。
それはとても難しいことかもしれへんけど、
しかし、それを認識した上でないと人が人を赦し、赦されて救いを受け取る事は出来ないんやろな。
そこからやっと人は死刑云々を議論出来るテーブルにつけるかな。
そして、せめて、より高次の概念による矛盾の解決が導き出せるまでは、日本の原始的処刑方法
『絞首刑』は韓国のように停止して欲しいと今作品を観て切に思いました。

末筆ながら
生前、孫くらいの年齢の小生に手紙での交流を通してご鞭撻いただいてました、
故・大道寺将司さんに感謝の意を込めて。
kuu

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