東京キネマ

オース!バタヤンの東京キネマのレビュー・感想・評価

オース!バタヤン(2013年製作の映画)
4.0
こういったドキュメンタリーで大切なのは何だろうと考えると、やはりテレビ番組じゃ出来ないことをやるところにあるんじゃないかと思います。ある一つの意図を持って、ある方向に印象付けする、例えばNHKの報道番組や追悼番組と同じようなものを映画館で見たって意味がありません。そういう視点に立つと、このドキュメンタリーの方法論は正解なんだろうと思うのです。

余りにも金が無くて小学校3年生で退学。おまけにトラホームに罹っても病院に行けなくて片目失明。そして13歳で丁稚奉公。大東亜戦争時には慰問にも行ったし、大変な戦争体験もしている筈なので、NHK的に捉えるのであれば、昭和を代表する日本人、悲しみを代表する日本人、戦争犠牲者としての日本人としたいところでしょうが、実は本人稀代の女好きで、なんと三回も離婚しております。その四人目の最後の妻が劇中で言う “まあ、本人は根っからステージの人で、歌えば凄い人だとは思うけど、世間一般にはこういった男は余りお勧めしないわねえ・・・” には腹筋が崩壊しました。

大の博打好きでラスベガスで大金当てて、白人金髪姉ちゃんとニカ〜っと笑った写真が新聞に載った時は全国の日本人を唖然とさせましたし、地方興行が主な収入源だった当時としては当たり前のことですが、山口組三代目の田岡一雄とは大の仲良し。そんな環境が災いしてか有名なヤクザの抗争事件、明友会事件のきっかけを作っちゃたりするわけで、それがまた矛盾もなく、というよりも戦後の立体的な日本人として、良くも悪くも昭和を凝縮したような不思議な存在でした。

田端義夫の歌は、どうもバリバリのプロが歌う唄というのではなく、近所のオヤジが一曲唸るといった感じなのですが、19歳で歌謡コンクールに優勝した時は、何と参加者4,000人を勝ち抜いたということですから、決して普通ではなく、圧倒的に人を引きつけるものがあったのだろうと推察します。

「バタやんの声には涙があった」はHNKの追悼番組のタイトルですが、本来の意味で言えば「バタやんの歌には涙があった」です。昭和20年代に、復員でごった返す港や駅の拡声器から聞こえてくる『かえり船』や、『赤とんぼ』や『浜千鳥』などの児童唱歌など、日本人だったらみな涙して聞いていましたし、こんなに人を感傷的にさせる唄を歌う人は後先考えてもまずいません。昭和30年を前後して、それまでの戦前を引きずっていた歌手は一掃されましたが田端義男だけは生き残りました。昭和歌謡が終焉して平成になった時でも、舞台もテレビも定期的に出演していましたし、それにこの映画のようなドキュメンタリーにもなりました。

この映画の主たる映像は2006年の大阪鶴橋の公演ですが、どっかの貧相な学校の体育館で、葬儀屋の作った看板をバックに、ビックバンドならず小規模コンボで公演するというのは余りに侘しい感じはするものの、なんとこの時本人は87歳。全17曲を歌い、満席の観客を沸かせています。こんな芸当ができる人もちょっといません。

監督の田村孟太雲氏のインタヴューを読むと、2005年から2012年までの約7年間撮影をしていたらしく、「映画の結末をどうするか見えず、模索していた時期もあった」と言っているので、どうも確信的に映画製作が進行していた訳でもなさそうです。こんなリッチな企画に、というより日本でなければ存在し得ない田端義夫というリッチな男の物語に、金を出す映画会社も日本にはないという現実が見えて、今の日本が置かれている映画環境の貧しさを感じます。

つまり、この映画は二重の意味で、日本の豊かさと貧しさを活写しているドキュメンタリーだと言えるのかも知れません。
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