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『笑う男』に投稿された感想・評価

R

Rの感想・評価

4.2
何とも言えなさがハンパじゃなくて、これが日本で公開されなかったのもうなずける。たとえば劇場で見たとして、終わったあとに、同行者と何を語り合ったものか、途方に暮れてしまう。哀しいねぇ皮肉だねぇと言ってしまえばそれまでだが、それで片づけてしまうのはもったいないくらい、変な澱が心に残る。ことばでは表しきれない気分を味わったとき、映画ってのはほんとに豊かだなぁと嬉しくなる。そんな映画。オムニバス2話構成で、1話目は病気で歌が歌えなくなった悲しみの元オペラ歌手が、眠っている間にいつもゲラゲラ笑ってしまうので、妻に愛想を尽かされて逃げられ、一体オレは何の夢を見てるのかと考えに考えてるうちに、内容を思い出し、それをきっかけに悲劇が深まっていく、みたいな話で、2話目はマフィア関係者による子どもの誘拐事件と、100年前、とある山に住む一族によって誘拐された爺さんの事件とが対比的に描かれ、最終的には裏切りの悲劇がゾッとするほど淡白に語られるので、見終わったあと妙に居心地の悪い余韻が残る。で、鑑賞後、このビミョーな気持ちの根源はほんとは一体どこにあるのかと、もう一回すぐに見直したくなって、見てみると、なるほど…人物たちのあまりにも思い通りにならなかった生涯に対する苦々しい思いが、映画全体に、そこはかとなく漂っているではないか。滑稽でありながら笑えないその不如意さに、心がジンジン刺激されていたんだ。私の知人のなかに、自由にありのままには生きられないけれど、何とか少しでも幸せになろうと、哀しいあきらめを選んだ、という人が何人かいる。そういう人に思いを馳せてしまって、何だか切なくなってたんだ。また何年か後にもう一度見てみたいな、これ。だから誰かソフト化してよ。
シチリア祭り(4)

公開されたときの記憶はぼやけている。それでも、なにかすごいものを見たということは覚えている。「タヴィアーニ祭り」をやったとき、これだけは見直せなかったのだけれど、今回はようやくUSA版の DVD が手に入り、しかもリージョンコードがフリーだったようで、すぐに視聴できた。

いやはやこれは、同じピランデッロを原作にした『カオス』(1984)よりもぐっと深く、人間の闇のなかに切り込んでいる。同時にその闇から浮かび上がってくる芸術の光。

第一部の「Tu ridi」(あなたは笑う)では、モーツァルトであり、サブリーナ・フェリッリの歌うネコの歌であり(Duetto buffo di due gatti)、そしてロッシーニの「アルジェのイタリア女」。

第二部はジョットの絵画とダンスとサッカー。そしてガリレオ・ガリレイの天文学が、どうしようもない人間の悪行にもかかわらず、ささやかな光を闇に差し込んでいる様が描かれるわけだ。

第一部の舞台はファシズム期のローマが舞台。第二部はシチリアだが、描かれるのは、映画とほぼ同時期に全貌が明らかになっていた、あのジュゼッペ・ディ・マッテーオ殺人事件(1996)。

映画を見た当時も、物語の背景にある誘拐事件という記事を読んだ記憶があるのだけれど、あの『シシリアン・ゴースト・ストーリー』(2018)がそれを思い出させてくれた。

アントニオ・ピアッツァとファビオ・グラッサドニアの若い監督たちが、パレルモノ若者にはもう事件の記憶がなくなっていることを嘆いて、美しいゴーストストーリーとして蘇らせたのに対して、タヴィアーニ兄弟は、事件の記憶が生々しいときにあって、ピランデッロの描いた寓話のほうは、悪を行う人間がそれでも凡庸ながらも人間性を持っていることを、レッロ・アレーナの依代を借りて見事に表現している。

しかもそのレッロ・アレーナが、ジョットのフレスコ画(スクロヴェーニ礼拝堂)のなかのユダと重ねられる。ぼくらはその時を超えた重なりを、レッロが買ってきた最新のコンピューターグラフィックの切り絵で見ることになるのだけれど、モニターを前にすべてを操作する子どもこそは、おじさんとよばれる彼が誘拐してきた子どもであり、あろうことか、最後の最後には彼が模写していたジョットの「罪なき幼児の虐殺」(Strage di innocenti) と同じ運命をたどることになる。

それにしても、どうしてこの名作のDVDが手に入りづらいのだろう。日本語版はないし、イタリアでも Kaos II のタイトルで販売されるDVDは絶版。ぼくとしては、ジュゼッペ・ランチの美しい映像を、今一度、ブルーレイで見直したいところ。『カオス』のBDはものすごく美しかったのだから。

PS サブリーナ・フェリッリの歌う猫の歌 Duetto buffo di due gatti はロッシーニ作と言われているけれど、じつは「ロバート・ルーカス・パーサール Robert Lucas de Pearsallというイギリス人の作曲家が、フリードリヒ・ヴァイゼの『Katte-Cavatine猫のカヴァティーナ』という作品をアレンジしたもの」で「そのアレンジの中で、曲の中間部分の8分の6拍子部分はパーサール本人の作曲、最後の早い部分のメロディはロッシーニの歌劇「オテロ」の第2幕の“Rodrigoロドリーゴのアリア”から引用」という形で作られたものとのこと。引用はここから:(https://boosensei.hatenablog.com/entry/duetto-buffo-di-due-gatti-weyse)

wikipideia.it も参照:(https://it.wikipedia.org/wiki/Duetto_buffo_di_due_gatti)