フジマークス

ミークス・カットオフのフジマークスのネタバレレビュー・内容・結末

ミークス・カットオフ(2010年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

 やはりなんといっても、1番良かったシーンは銃を向け合うシーンである。ケリーライカートの映画でありがちなのだが、観客が読み取っている物語内容において、どんな人間関係が描き出されているのかということに、全く説明的にならない。一般的な映画では主人公の境遇や、登場人物同士の関係などを踏まえた上で、物語を読み込んでいくということが多い。しかし、ライカートの映画では、主人公がどこに向かっているのか、登場人物がどのような関係性なのか、そのシーンで描き出されている人間関係というものが如何なるものなのかということが、映画が進んでいくうちに徐々にわかっていったり、突如としてわかったりする。そして『ミークス・カット・オフ』では、インディアンとカウボーイととある女性が銃を向け合うという出来事が起こり、それまで潜在的にあった人間関係が画面の上に突如として現れるという印象を受けた。それゆえに、ものすごくドキドキしたし、ここぞとばかりに編集や映像の使い方もより緊迫感のあるものであった。緊迫した状況を見つめる登場人物達を順番に捉えていくショットと編集。
 主人公の女性はインディアンを守ろうとして、インディアンに銃を向けるカウボーイに銃を向けている。これは、もちろんインディアンを単純に守りたいということではなく、彼女は無責任なカウボーイの言いなりになることなく、またその他の男たちのいいなりになることなく、彼女自身が選択をしているということである。
 ラストは、木の隙間から見える女性の顔(目)のショットから、広い荒野を進むインディアンの後ろ姿というラストカットである。物語はどこかに収束することなく、一旦生きた木を見つけることができたという過程のうちに終わる。最終的に彼女の選択が正しいのかはわからないが、自ら選択して今があるということは確かである。ただ、荒野はまだ広く彼女達はまだ辿り着かずの宙吊り状態で映画は終わる。
 インディアンが歌うシーンが印象的であった。彼の歌に登場人物全員が聴き入る。希望が少ない、不安な荒野に響くあの歌声は、少なくとも登場人物たちの精神の圏内には響いていたのは間違いなく、彼が歌っている時間は映画の中では特別な瞬間であった。
 映画全般を通して、彼らはどこかへ向かって歩き続けている。漂流者のすべきことは歩く、水を飲む、食事をするなど限られていると思うが、そのようなことが淡々と行われる。とにかく彼らは動いている。行為の反復と差異というものはおそらくあっただろう。歩く→寝る→歩くが基本であるが、止まってる時に食事をしたり洗い物をしたり、女性はそのうちに「まるで奴隷よ」といったり、カウボーイとその他の登場人物が何かしら言い争ったりなどをして、物語内容が読み取れる。
 また、そのような単純な行為の繰り返しであっても、荒野の撮り方というものにはこだわりがあり、そのような映像はあまりにも豊かだったので、いくらでも観れるなあという印象を受ける。フレームに収められた光景は美しいものだが、やはり彼らは常に現実的な問題に直面している。熱い、水がない、など。歩く映像が続いたり、ひきで、荒野と共に綺麗に捉えた移動の映像といったものが多かったが、少なくとも画面には彼らの行動がしっかりと映っている。一定程度の不穏な関係性が場面に滞留していて、銃を向け合う場面で張り詰めていた糸が切れたような感じ
 荷車が落ちていっちゃうシーンや、銃を連発するシーンなどもお気に入りで、映画内に映画的な芸のようなものはたくさんあっただろう。
フジマークス

フジマークス