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江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者のbluetokyoのレビュー・感想・評価

2.5
なるほど、そういう風にまとめたか。でも、けっこう、期待していたけど大したことはなかった。屋根裏の散歩者は三つぐらい映画がある。よほど、映画にしたくなる素材であるらしい。しかも、どれも大して面白くもない。こちらも例に漏れずである。覗きがストーリーであり、覗き→見る→妄想→映画の構築、ということで、なんか映画と親和性があるように思えるのだろうか。とすると、映画の撮影現場を映画にするようのものか。でも、なんか違うのだ。
主人公、郷田三郎は屋根裏散歩で他人の部屋を覗き見る楽しみを知る。そんなことをしているうちに、ピエロと性的に戯れている貴婦人、清宮美那子と目が合ってしまう。他の屋根裏の散歩者とはここが違うのだ。なぜか、それが引き金になって、美那子はピエロを足四の字固めで絞め殺してしまう。さらに彼女の座る椅子に入り込んで楽しむ運転手の蛭田も殺し、また、主人も毒殺する。一方、郷田三郎も、美那子と競うかのように、別室の遠藤が寝ている間、開いている口にモルヒネを垂らして殺害する。なぜ、こんなことをするのか。おそらく、覗く(覗かれる)、という行為が、現状の世界とは別の世界に自分が存在するという感覚を与えるのだろう。まあ、映画を見ているのと同じである。だから、殺そうがなにをしようが、面白ければいいのだ。その勢いで、別室のボディペインティング芸術家の女も殺してしまう。これでめでたし、屋根裏で郷田三郎と美那子は抱き合う。ところがそこへ関東大震災。あっけなく、二人は建物の下敷きになって亡くなってしまう。
覗き見をしたぐらいで別世界に行けるわけはないのである。
テーマはかっちりしているので後半は惹き込まれる。
だが、そうなると前半の他の部屋の住人たちの変態的な、あるいは、エロい生活、というのの説明が付かない。
また、たとえば、郷田三郎はピエロの恰好はするのだが、美那子と戯れたりはしない。いや、できないのだ。覗くというのは、超越的であると同時に、疎外されているということでもある。だったら、覗いても意味はないのかもしれない。
そこで、覗く側と覗かれる側をコミットするために、殺人事件が起こるわけである。
なぜ、たいてい、面白くはないかというと、覗いたからといって、覗かれている側が、覗きがいのある生活をしている可能性があまり高くはない、という現実からではないだろうか。むしろ、覗いている側の方が、よほど、非日常的なのである。
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