井出

オンリー・ゴッドの井出のネタバレレビュー・内容・結末

オンリー・ゴッド(2013年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

レフン独特の一定のスライドで、文字を書いていくように淡々と物語が流れていく。音楽も。
本作で考えなければならないのは、神は誰かということだろう。つまり許すのは誰かということ。主人公でもなく、警官でもなく、監督でもなく、観客でもない。おそらく、我々に見えないところで我々を見ている者が、神なのだろう。それは消去法でしかないが、まずヒントになるのは、冒頭のボクシングのシーンだろう。戦いや、戦っている選手はリングの中心にいると思いきや、それを最も遠い、上のほうから見ている主人公が、これを操っている。ここでは彼が神だ。私たちのように、見世物を楽しみ、お金を賭けて一儲けしようとしている観客は、神の目を通して、世界を見ることに従うほかない。
そしてこの映画で描かれた、主人公と警官の闘争、つまり、赤と青のせめぎ合いは、作り手たちが操っている。ここでは監督たちが神のようにも思える。カットを変に切ることで作為性を見せている。
しかしこれを言い出すと、我々を操っている者がいることを認めることになるだろう。私たちを箱の外から見ている者が神なのかもしれない。
これが消去法ってことね。監督は、作中、おそらく意図的に、カメラを見上げることをしない。私たちが、人間の世界で横しか見ない、というか横しか認知できないようにできているのと同じで。カメラのスライドはその世界の目の動きをイメージしている。
ではこの、我々が生きる世界を彼はどう捉えているか。それは、我々の神の子宮の中として描かれる。この作品中にずっとある閉塞感と緊張感は、この胎外から聞こえるような音と、見える世界の赤によって表現されている。また、主人公の兄弟は、母なる神に支配されている。
そして最後、主人公は母の子宮を触る。おそらくこれは、監督の映画観である。子宮から出て、その子宮をつかむことが、人間界を映画で描くことなのである。監督自身、人間界で何かと戦いながら。そのためか、主人公は手を切られる。女性器触ったから両腕?レフンもそのうちやめんのかな笑
ライアンゴズリングは安定の無表情で、この冷たく、鈍く、ゆっくり包丁を差し込んでくる映画に、とてつもなく相性がいい。そしてさらにこのタイ人の警官が素晴らしい。最初は彼が神なのではないかと思った。あの、全てが見えている佇まい。驚きの歌唱力。これが一番の見所。東南アジア、これから来るな。この世界観を描くのにも、東南アジアっていいな。ロケーションが素晴らしい。面白かった。
井出

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